レプリカのうた -Replica's Song-
第4章:君のいる場所



 第28話 ティルエス研究施設(3)


 アルブムのライラックの話を思い出した。
 彼女の兄は王子の顧問術者で、最高権力者だと。
 目の前の男は低く笑い、ゆったりとした足取りでこちらに近づいてきた。
「リード兄様……フィバクスにいらっしゃると思っていたわ」
「最近は、よくこうして施設を渡り歩いているんだ。不健康だってお前が言うものだから」
 薄暗い部屋の中で、革靴の低い音が響いた。先ほど砕かれたドアの破片が、踏まれるたびに華奢な悲鳴をあげる。
 仄かに揺らめく部屋の隅のランプ。その光が男の姿を浮かび上がらせる。
 出てきた姿に、ビスタとマルメロは同時に顔を見合わせた。
 彼は以前フォルーネで出会ったあの術者だった。フォルーネの月夜に照らされた時のまま全く変わらない陶器のような肌には、不健康そうな隈が浮かび上がっていた。
 白い肌は青いローブに黒い杖を携えている。それは高位術者の証だった。
「この騒ぎはお前か、ライラ」
「そうじゃない、って言ったら兄様は信じてくださるのかしら」
 ライラックの声は硬い。その中に怯えの感情が含まれているのが分かった。
「お前が私に何を望んでいるのか理解に苦しむ」
 男は嘲笑にも似た響きを声に含ませて微笑んだ。
 ライラックは黒く縁どられた瞳を苛立たせたように細め、対峙する兄を見つめた。
「兄様、あたしは兄様が何をしようとしているか知っているわ。だから止めたいの」
「お前が? 私を? 相変わらず威勢だけはいいな、我が妹よ」
 黒髪の兄妹は互いに睨み合いながら杖を構える。
 ライラックは白い杖を掲げて、何かを呟き始めた。白い杖には金色の明光が集まり始める。その粒子は連なり、彼女の目の前に壁を形成しつつある。
 対する男の黒い杖からは、藍鉄の輝きを湛えた大きな刃が姿を現す。
 それは目にも留まらぬ速さでこちらを目がけて飛んできた。
「来るわ! みんな避けて! ――ガーフィーの守護神、来なさい!」
 ライラックのかん高い掛け声と共に一同は左右に避けた。
 彼女だけがそこに留まり、杖の前に出来た光の柱で刃を押さえていた。
 彼女がそれを押さえ込みながら、振り返らずに声を上げる。
「ソロ! この部屋に入る前に言ったわよね? 逃げるのよ! あたしがここを食い止めてるから早く!」
「リラ……」
「早く!」
 彼女は、そう叫ぶ間も白い杖で柱を操りながら刃を打ち返し、次の魔術の準備に入った。
 ソロはためらった表情で彼女を赤い瞳で見据えたが、すぐさま決意したように、来た側のドアを目指した。
「こっちだ。行こう!」
 ライラック以外の一同を押し戻すように、彼は身を翻した。
「さあ、リラが引き止めてくれている間に早く!」
「どこへ行くんだ、ソルイノ」
 彼らの駆ける背中を追うように、黒い杖からは鋭い刃が荒れ狂うように吹き飛ぶ。
「ソロっ!」
 魔術陣を形成中だったライラックは、背後の彼へ向けて叫んだ。
「――!」
 ソロは杖を構えながら魔術を描こうとする。
 見かねたツキがそれを片手で握りつぶすようにすると、黒い刃は焦げるような音と共に消える。
 ツキが片手を軽く振ると、操られている様な光の玉が次々と黒い刃を弾く。
 先頭を走るビスタとマルメロは、退路を作る。振り向くと、部屋の中は魔術と魔術がぶつかり合う空間と化していた。
「ぎゃっ!」
 ビスタは頭上に飛んできた黒い光の玉をかがんで避けた。
 それは彼を飛び越えて後ろの壁に命中し、壁が窪んだ。
 彼らは走る。
 それでも刃は追ってくる。
「おい」
 刃を避けながら、リントはビスタへ声を掛ける。
「迷子にならないように姉さんを頼む」
「リントは?」
「残る」
「え? リント!」
「――行け!」
 強い声と共に、彼らはドアの外へ投げ出された。ビスタだけは、背中にリントの蹴りの感触を感じていた。

 重い音と共に大きな扉が閉まる。
 廊下に投げ出されたソロは、ぽつりと声を出す。
「『全員』……無事ですか」
 ソロが術服の綻びも気にせず、残った一同――ビスタ、マルメロ、ツキの顔を順に見た。
「リントとライラックが残っちゃったけど……」
「僕もリラとリントくんが気になる……」
 項垂れたソロの肩を優しく叩く者があった。
「ツキさん」
 顔を上げると、彼女が瞳を大きくして、ぱちくりと三人を見ていた。
 そしてドアのほうを振り向き、またこちらに顔を戻し、薄く微笑んだ。
 呆然とする三人を置いて、彼女は来た道をすたすたと戻り始めた。
「大丈夫、ってことかな?」
 マルメロが首を傾げた。
「たしかに。ここで止まっていても仕方ないかも。ねえ、ソロ」
「うん……。そうだね」
 彼らは、金の長い髪の背中を追って小走りに駆け出した。
「ツキさんは強いね」
 目の前の金色に揺れる髪を見つめて、ソロは溜息交じりにそう漏らした。
 隣のビスタは眉をひそめる。
「何も考えて無いように見えるけど……」
「……二人とも、大丈夫かな」
 呟くように押し出されたマルメロの声に、ソロは優しく微笑んだ。
「リラが大丈夫って言ったから、大丈夫だよ。リラは小さな頃から正直者だからね」
 彼は顔に硬い微笑みを描き、再び後ろを振り返った。



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