レプリカのうた -Replica's Song-
第4章:君のいる場所



 第29話 ティルエス研究施設(4)


 繊細な装飾の施された扉が、重い音を立てて閉まった。
 藍鉄の光を持つ刃は扉と、その前に残されたリントに突き刺さる。
「な、何やってるの!」
 ライラックが血相を変えて彼に駆け寄るが、青い瞳は平然とした表情を浮かべている。
「何が」
 彼女の目線を追って、彼は理解したように声を上げる。
「ああ、これか」
 自らの身体に突き刺さる刃を彼は見た。
「別に心配する事じゃない」
 彼がそう言うと、無数の刃は氷の粒のように小さくなり、空気に溶けた。
 服は破けているものの、血も流れていないし、肌に穴も開いていない。
 ライラックは目の前の光景に目を見開いた。
「――ライラ、その方は特別だ」
 彼女の背後から声が掛かる。
 その黒い声と、目の前の彼を彼女の黒い瞳が行き来する。
「えっ……何、どうして……? どうして無事でいられるの?」
 ライラックの黒い瞳は困惑した様子で事態を受け入れられずにいた。
「クリアス、だよライラ」
「クリアス……?」
「毎日聖書は読むように、と教えなかったか?」
「聖書の、クリアス? 魔術を跳ね返した人の……え」
「魔力無効化体質――聖書のクリアス神と一緒なんだ、この方は」
「貴方、魔術の干渉を受けないってこと?」
 しかし、リントはその問いに答えず、目の前に立ちはだかる男を睨んだ。
「久しぶりだな、リーディアス」
 その声に抑揚は無く、ただ凛として薄暗い部屋へ響いた。
「まさかこんなところで貴方にお会い出来るとは思いませんでした。ご無沙汰しております」
 メガネの奥で黒耀石の瞳を光らせながら、リーディアス=ガーフィーは口の端を歪めて笑った。
「探しましたよ。貴方がフィバクスから姿を消した半年前からずっと」
「ああ、それはご苦労だった。もう結構、探さないでくれ。迷惑だ」
「そういうわけにも参りません。貴方を捕らえないと私の首も危ないのですから」
 リーディアスは穏やかな口調で妖しく微笑む。
「そうか。じゃあボクが直々にこの場ではねてやろう」
 リントは腰からすらりと銀色の刃を引き抜くと、それを真正面へ向かい、構えた。
 柄を握り締めた手は、隣の白い手に阻まれた。
「ちょっと待って! あなたも兄様も、何の話をしているのか分からないわ」
 ライラックは、白い顔でリントとリーディアスを困惑した様子で見返した。
「ああ、お前との話を忘れていたよ。ライラ、遊びに来たのか?」
 兄は黒い瞳を細め、見下すように笑う。
「兄様が何をしたいのかは知ってるわ。あたしは、兄様を止めたいの」
「『リラ』をくれるのなら、いつでもやめようじゃないか」
「それはあげない。あたしが死ぬまで兄様には渡さないわ」
「ならばお前も一緒に王都まで連れて行こう。そちらの方と一緒にな」
「――力付くでそうさせてみればいい」
 リントは青い瞳を光らせ、低く唸った。
 リーディアスは瞬時に黒い杖を振って、藍玉色に鈍く輝く柱を生み出した。
 リントは彼女の前に立ち、剣を構える。
「お前、防御魔術は得意なのか?」
「防御はソロのほうが専門分野よ……。あたしは重力で押し返すわ。――来なさい、恩恵の剣と盾!」
 地響きがして、彼女の前に大きな魔術陣が浮かび上がる。
 白い線で描かれたそれは、清い光りを放ちながら、彼女の前に連なる。
「――お前が、あの結晶の動きを止めて、それから今日の計画が終わるのには何分必要なんだ?」
 彼は先ほどまで青白く輝いていた結晶をちらりと見て、杖にしがみ付く彼女に早口で問いかける。
「そうね……20……ううん10分もあれば十分よ、きっと。皆を信じてるから――あっ!」
 彼女の白い結界を青黒い柱に叩き折られ、彼女は膝を付く。
 その間も大きな柱は、彼女たちを潰す勢いで迫り落ちてくる。
「――っ」
 彼女が息を飲んだ瞬間、身体がふわりと浮かんだ気がした。
 リントが素早く彼女を抱きかかえ、壁沿いを駆け出していた。
 ライラックがその行動にぱちくりしていると、彼は早口で囁いた。
「それじゃあ、あと5分ほどボクたちがここでリーディアスを足止めしていれば、計画は成功するんだな?」
「そうね――来るわ、伏せて!」
 彼女は叫ぶと同時に、右手の白い杖を振った。
 杖の前には鏡のような揺らめきが現れ、迫りくる赤黒い炎から彼の背中を守る。
「ああ、確かに。炎で服が焼けるのはごめんだ」
「そういう問題じゃないでしょう! あの火力は火傷じゃ済まないわよ?」
「ボクに魔術は効かないし、心配はいらない。今、最優先するべきことはお前を無傷で連れ帰ることだ」
「訳の分からないこと言わないで! あ、あとそろそろ降ろすべきだわ……!」
 彼女は白い顔を仄かに赤めて呟いた。
 彼は彼女を下ろす際に、顔を近づけて囁いた。
「今、ボクがこの部屋を『開ける』。そしたらお前はなんとか脱出して、他の奴と合流するんだ」
「あなたは――」
「ボクは、あいつと話をしてから行く。心配するな。ボクに魔術は『効かない』」
 彼女が頷く様子も見ずに、彼は一目散に走っていった。目指す先はリーディアス――いや、部屋の中心にある先ほどのルモア結晶だ。
 それはライラックが魔術を上書きし、活動を止めたのでまばゆい光りは失われていた。
「リーディアス、これが何だか分かるか?」
 リントは優雅な動作でそれを取り出した。
 リーディアスは薄暗い闇の中で、彼の手にあるそれを見ると、目を見張った。そして、笑う。
「いつの間にそれを」
「フィバクスを出る際に、お前のところから少し拝借させてもらったんだ。『魔力が無い』ボクにでも、簡単に魔術が使えてしまうこれが、お前の怪しい実験の成果か?」
「魔力が無い……?」
 ライラックのその呟きにリントはリーディアスを睨みながら頷いた。
「お前、さっき答えを言っていたじゃないか。ボクは魔術の干渉を一切受けない。だから、この体内に魔力なんて存在しないんだ」
「そ、そんなのあり得るはずがないじゃない……」
「現にここに居るんだ、仕方ない。お前だってそれを見ただろう?」
 リーディアスはリントが手に持っている小瓶を眺めて喉から声を出して笑った。
「『物』に発動者魔力を宿せるか試しただけです」
「そんなの無理だわ。だって発動者魔力は生き物しか持ち得ないもの……まさか!」
 ライラックは悲痛な考えに至り、悲鳴を上げる。
「ああ、お前の考えているその通りだよ。この男はそれを人間でやろうとしているんだ」
「そんな……兄様! こんなの異端術だわ!」
「ドラゴンの血は、魔力に反応すると青く輝くそうだな、リーディアス」
 リントは、ルモア結晶の周りにドロドロした液体をまいた。
「10分だ。ライラック、結晶の魔力を再発動してくれ」
「え?」
 ふいに名前を呼ばれた彼女は、彼の端正な顔を見つめ返した。
「――早くしろ!」
 その声と共にリントがリーディアスに向かって飛び出すと、ライラックは慌ててルモア結晶へ近づいた。
 彼女にとって彼の言うことは半信半疑だったが、彼の言う通りにしなければいけない気すらしている。
 ライラックは混乱した頭を叩き、今しなければいけないことに頭を切り替えた。
 白い杖を持つ白い手が震えている。
「大丈夫、あの人を信じる……」
 ライラックは、ルモア結晶の台座に描いた術式にさらに上書きし始めた。
 術式は、複雑な模様を描き、杖の前に現れた。銀朱を帯びた光の細い線が踊り出す。
「リント、いいわよ!」
「離れろ!」
 ルモア結晶が繊細な旋律を奏でながらひび割れ出した。
 彼女の魔術と床に零れたドラゴンの血が反応し、瞬時に眩い光りが結晶と、彼女を包む。
 押し出されるような力に、ライラックは短い悲鳴を上げる。
 その白い腕は、ふいに強い力に引かれた。

 そして彼女は、青い闇へ消える。



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