レプリカのうた -Replica's Song-
第4章:君のいる場所



 第26話 ティルエス研究施設(1)


 時間を告げる大聖堂の鐘が壮麗な音を響かせる。
 その音色を打ち消すかのように、いくつもの轟音が連なって研究施設に鳴り渡った。
 空気が鋭く変わり、チリチリとした熱気が肌を掠める。
 各所で大きな魔術を乱用しているせいだろう。
「すごい音……」
 マルメロは思わず両耳を塞いで、困った表情を浮かべた。
 まだ鳴り止まない爆発音に、彼らの耳は麻痺したように硬直している。
「あっちはオトリ。陽動班が色んな箇所で研究施設の目を引き付けてくれるのよ」
 厳粛に時間を知らせようとする鐘の音と焼きつくような轟音が競り合っている。その二重奏の中を突き破り、彼らは研究施設の中庭に進入していた。
 中庭というよりは裏庭と表現したほうがいいだろうか。研究施設と大聖堂の間にひっそりとあるスペースで、人目に付く心配は無かった。
 研究施設の壁に沿い、彼らは歩みを進める。
「確かここら辺にあるって聞いていたんだけど……あっ」
 ライラックが目を向けた先には、錆付いた色のドアがあった。研究施設に繋がっているそれは、事務的に存在しているだけの一枚の板だ。
「裏口?」
「正面玄関に見える?」
 そのドアは長年使っていなかったかのように朽ちている。
「開くかしら」
 ライラックは、小さなドアノブに手を当てて口の中で何かを短く呟いた。
 すると、ドアノブが赤く光り、カチャリと音がした。
「あら、開閉魔術上手くいっちゃった」
 ライラックがドアを開き、左右に目を凝らした。
「大丈夫みたい。行きましょう」
「術が上手くいかなかったらどうしたの?」
 そのマルメロの問いに、ライラックは黒い瞳を悪戯に光らせた。
「破壊したかしら。まあ、何にせよ入れて良かったわ」
 彼女の固い靴底が床を鳴らす。
 ライラックを前にして、彼らはその狭い入り口からティルエス研究施設へと侵入した。

 内部はジェフラン教の聖堂と比べるととてもシンプルだった。
 白っぽい壁に覆われた廊下は真っ直ぐ奥へ伸びていた。横幅も縦幅もそれほど広くは無い。
 壁に張り付いている魔術陣が辺りを明るく照らしているおかげで、彼らの前方は明るかった。
「おい、場所の検討は付いているのか?」
 リントは機嫌が悪そうな顔で口を開いた。
 結晶の在り処を聞いているのだろう。
「検討は付いているけど、確信が無いわ。自分の運の良さを信じるか、神に祈るしかないわね」
 するとライラックは一枚の紙を取り出した。
 大きな箱が、いくつもの細い線によって区切られている。
「ここがあたしたちが今入ってきたドアね」
 ライラックが指でその一部分をなぞる。どうやら彼女の口ぶりからするに、これはこの研究施設の地図のようだ。
 細かく描かれているわけではないが、ぼんやりと構造が分かる。
「現在地から3時の方向に進むと隣の大聖堂に繋がっているんだけど、ここに大聖堂と研究施設を繋ぐ小さな部屋があるでしょう。きっとここにあると思うの」
 ライラックの白い指は、今から通るであろう道順をなぞっていた。その先にあるのは、他の部屋と比べると幾分か小さいスペースだ。
「行って確かめてみるしかないよね? こればっかりは」
 ビスタが思わず口からそう零すと、一同は揃って首を動かした。
「そうね。念のため、人目に気をつけながら行きましょう」
 ライラックを先頭に、彼らは長い廊下を進んだ。



「よく誰とも会わないね」
 ビスタは後ろを歩くソロに問う。
「昼食時だからね。それに、陽動班の人たちが研究施設の上を攻撃してくれているからきっとそっちに人が集まっているんじゃないかな」
 先ほどの裏口から随分歩いたはずだが、簡素なデザインの廊下はまだ広がっていた。どこまでも続く同じ風景には幾許かの不安が募る。
「ここって何を研究しているのかな……」
 均等な感覚に並んだ白いドアを見つめて、マルメロは憂慮な面持ちで呟く。
 憂いを帯びたその声に、ソロは寂しそうな微笑を浮かべた。
「知らなくていいと思うよ。僕も、あまり知らないし」
 彼らは長い階段に突き当たった。
 この道順は先ほどから幾度か繰り返していた。白い廊下の先には白い階段があり、それを上ると再び白い廊下が彼らを迎える。
 今回も例によって白い階段を上った。
 上った先にはやはり白い廊下が彼らを迎える。
 しかし今までの廊下よりも横幅は狭く、縦幅は広かった。壁を見ても、無機質に並んでいるドアは一枚も無い。
「予定通りね。ここを真っ直ぐ進むと、さっき言った小さな部屋のはずよ」
 ライラックは潜めた声でそう言うと、再び地図を取り出した。
 その時、急に大きな揺れが生じ、彼らの足元は大きく揺らいだ。
「今のって、陽動にしては大きくないかな?」
「確かに不自然なくらいの揺れだったし、空気があまり乱れた様子が無いから大きな魔術を使ったわけじゃないと思うし。何だろう?」
「――心配ないわ」
 様々な疑問の声を一蹴したのは、ライラックのはっきりとしたその一言だった。
「上手く行かなかったら誰かが聖堂の鐘を鳴らすことになっているわ。だから大丈夫、鳴るまではあたしたちは止まらないで進みましょう」
 彼女はウィンクをしてその場でくるりと回った。
 一同はそれに頷くと、彼女の後について再び長い廊下を進む。
「それよりあたしが一番心配なのはね、ここに人が居ないかってことなのよ」
「……え」
 ライラックのぽつりとした呟きは、静かな廊下の中で響いた。
 思わず彼らはそれに聞き返す。
「だって、もしこの部屋に動力の結晶があったらどんなにお馬鹿な人でも最低一人の見張りは置いておくわよね? だって研究施設を動かしている魔力の源よ。見張ってないと大変じゃない?」
 ライラックの意見は最もだった。
 むしろ今まで誰にも鉢合わせしなかったのが奇跡である。
「人が居たらどうするの?」
「簡単だわ。強行突破しましょう」
「えぇ?」
「本来、これはあたし一人でやる作業だった。でも今は予定外の人数がいるわ。だから力勝負だったら負けない気がするの」
 ライラックは釣りあがった黒い瞳を勝気に光らせた。
 彼女の言葉にビスタは返した。
「勝てないと思ったら?」
「逃げましょう。ただし、あたしがオトリになっている間に」
「リラ、それは――」
「――黙って、ソロ。ソロはこの中だったら多分あたしの次にここに詳しい。だから皆を誘導してね」
 最後尾の彼に、彼女は丸めた地図を投げた。
「返事!」
「う……は、はい」
 ソロは地図を受け取り、しぶしぶと首を動かした。
「まあ、今のはここに人が居たら――そしてそれが勝てそうに無い相手……えっと、そうね、例えばドラゴンとかだった場合の話。要はね、ここに動力があって、それを止められればいいだけの話なのよ。簡単でしょう?」
 ライラックはそう小声で囁いて笑った。
 彼女の足取りは、大きな扉の前でぴたりと止まる。
「ここがその動力の結晶があるかもしれない部屋?」
 ビスタも小声で質問すると、彼女は笑顔で頷いた。
 『小さな部屋』と聞いていたので、予想以上の大きさの扉にビスタはたじろいだ。
 先ほど彼女が言った『小さな』とは何と比べてのことなのか分からなかったが、きっと想像以上に中は大きいものだと思った。
「鍵は掛かってないみたい。さあ、行くわよ」
 ライラックの声と同時に、ドアはゆっくりと開いた。
 重そうな見た目とは裏腹に、軽い音が廊下に響く。
 白い背中を先頭に、彼らは部屋へ足を踏み入れた。



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