レプリカのうた -Replica's Song-
第4章:君のいる場所



 第24話 白い月


 そして男は、黒い瞳を獰猛に歪めて笑った。
 灯りが消された部屋には、窓から差し込む月明かりと静寂だけが残っていた。
 頬に当たる空気は張り詰めて氷のように冷たい。
「どこに行っていたんだ、リーディアス」
 重いドアを開けて進入してきた黒い瞳の男を問い詰める声は暗い。
 その声を確認して、男――リーディアス=ガーフィーはさもおかしそうに笑いを浮かべる。
「ふふ、退屈でしたか?」
 男は窓に背を預けている華奢な影に話しかけた。
 その問いに、それは緑の瞳を苛立ったように細める。
 痛いほどの睥睨した視線を気にするわけでもなく、リーディアスはメガネの奥で微笑んでいる。
「貴方の姿が人目に触れると都合が悪いでしょう。クラウィウス王子」
「五年間も城に閉じ込められている僕の姿なんて、誰も分かるはずないだろう」
 華奢な影は皮肉めいた嘲笑を浮かべる。
 月明かりが彼の金色の髪を鈍く照らしていた。
「だから今回はこうしてお連れしてあげたんじゃないですか、王子」
 彼の笑みに返されるのは、少年の不機嫌な表情だ。
「『彼』は、見つかったの?」
「彼? ああ、アラン=ウォンスのことですか」
「居なくなってから半年も経つんだぞ。お前たちは何をしているんだ?」
「ふふ。大変申し訳ありません、殿下」
 男はメガネの奥でゆるやかに微笑みを含んだ。
「もし彼を見つけても、貴方には関係の無いことです。彼はどうせ処分されるだけ。あるいは、もうどこかでくたばっているか……。それが一番望ましいんですけれどね」
 男の楽しげな口調に小さな影は不愉快そうに眉をひそめた。
 そして男に背を向け、窓の外へ顔を向ける。その表情は、外の世界に焦がれているようにも見えた。
「……僕との約束を、忘れてないよね」
 男はそれに言葉を返すかわりに、黒い笑みを口に浮かべたまま微動だにしない。
 少年は言葉を継ぐ。
「『彼女』には手を出さないでね」
「ええ、もちろん。ガーフィー家の人間は、約束を守りますよ」
 リーディアス=ガーフィーは、部屋にどっしりと置かれた机に腰掛ける。細かい装飾がある机の上には、本や紙の束が積み上げられていた。
 彼は近くに積んであったものから適当な本を引っ張り出して開く。
 暗がりの部屋の中、文字は読めない。
「アラン=ウォンスは、見つかるの?」
 窓の外へ顔を向けていた少年は、再び男のほうへ向き直った。
 それに睨まれた男は、メガネを白い指で押し上げる。
「見つからないと、私も貴方も困るでしょう。そして教会も、城も。現に私は、とても困っています」
 黒い髪の男は、言葉とは裏腹に余裕ぶった笑顔で言い放った。
 少年は返す言葉も無く、また窓の外を見た。
 眼下に広がる街は夜なのに明るくて賑やかだ。
 リーディアスは、読んでもいない分厚い本を大袈裟に閉じた。
 再び適当な場所へ本を戻す。
「王子、私はこれから研究室を見回って来ないといけません。博士とお話もありますので」
 男は立ち上がり、メガネを押し上げた。
「行けば。僕はもう少しここにいる」
 少年は男に見向きもせず、暗い声で返す。
「では、失礼します。殿下、おやすみなさいませ」
 黒い影は、ドアの向こうへ姿を消した。男の黒い瞳には、姿が消える瞬間まで嫌な笑顔が張り付いていた。

 一人になった部屋は、元の静けさに戻った。
 窓際の小さな影は、張り詰めていたものを吐き出すかのように、ため息をついた。
 すると月明かりが照らし出していた黄金の髪は、瞬時に真っ白な色へと変色した。
 窓に映る自分の白い髪を触りながら、彼はとても小さな声を落とした。
「見つからなければいいのに」
 それはとても小さな呟き。
 けれど、切実な響きが込められていた。
「君も、彼女も。あんな男に、見つからなければいいのに」
 その儚い声は、空気にゆるりと解ける。
「僕の名前を呼んでくれるのは、君と彼女だけ」
 その言葉を聞くのは、空に浮かぶ白い月だけ。
 彼はそのことに自嘲めいた笑みを浮かべ、再び窓越しに無機質な空を見上げた。
「もし君がまた帰ってきたら、僕も名前を呼んであげるよ――リント」
 彼のため息を聞いたのは、悠然と微笑む真っ白な月だけ。
 少年は、目を薄く閉じた。
 それと同時に、彼の髪は再び金色を取り戻した。
「僕を見つけてくれるなら、君でも彼女でも」

 小柄な少年は窓に背を向ける。
 部屋に差し込むのは、白い月明かりだけ。

 そして彼の小さなため息を聞き届けるのも、ぽっかりと空に浮かぶ白い月だけだった。



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