レプリカのうた -Replica's Song-
第3章:学者の住む街



 第21話 教会術者(2)


 室内に入ると、ドニが相変わらずの笑顔で迎えてくれた。
 外だけではなく、家の中も不思議な生き物で溢れていた。小さなサイズのドラゴンも何匹か部屋を優雅に歩いている。
「おう、おはよう。俺の家、子沢山だから踏まないよう気を付けてくれよー」
 ドニは家に来たビスタたちにそう言うと、肩に乗せた小型のドラゴンにエサを与えていた。
 片手には分厚い紙の束を抱えており、そこに何やら文字を書き込んでいる。研究の一環だろう。
 ライラックは部屋を見回してから、ドニに向かって口を開く。
「ドニ兄様、一番奥の部屋借りるわね。生き物来ない部屋なんてどうせ使ってないでしょ」
「おう。散らかってる部屋でいいんだったら」
「――失礼ね。あの部屋だったら昨日私が片付けたわよ」
「げっ、コゼット……」
 突然頭上から声がした。ビスタたちがそちら――階段上へ目を向けると、白衣の女性がこちらを見下ろしていた。
 ドニを睨んでいた女性は、すぐに見慣れない顔がいることに気づいた。吊り上げていた眉の力を抜いて客人に柔らかく微笑む。
「あら、お客様? 紅茶とコーヒーどちらをご用意すればいいかしら?」
 ビスタたちが答える前に、ライラックが声を上げた。
「あっ、コゼットさん。お茶はいらないです、大丈夫。すぐに出かけるから」
「あら、そう?」
 ライラックの言葉に、女性は意外そうな表情を作る。
 そして付け足すように言葉を継いだ。
「そういえば、奥の部屋なら今ソロくんが使っていたんじゃないかしら」
「えっ? ……何してるのかしら……」
 ライラックの呟きには、不安じみた響きが宿っていた。


 ライラックはそのまま広い廊下へと向かう。二人は白い背中にゆっくりと付いていった。
「今の人はドニ兄様の奥さん。昔は魔術の研究してたらしいけど、今はずっとドニ兄様の世話ばっかりしてるわね……かわいそう」
 彼女はため息と共にその言葉を投げ出した。
 ビスタたちは彼女の背中に続きながら、珍しい生き物や展示物が散らばった廊下を進む。
 彼の足に擦り寄ってくる猫も、よくよく見ると背中には小さな翼のようなものが生えている。
「この家は珍しい生き物が沢山いるね」
「ドニ兄様は生物学者だもの。しかもドラゴンとかそういう変わったものが好きなのよね――あ、マルメロ。その水槽は触らないほうがいいわよ。魚に指を食べられるかもしれないから」
「えっ……!」
 マルメロは屈んでいた水槽から瞬時に身を引いた。
 水槽は綺麗な水が張っていて、中では珍しい色の魚が二匹泳いでいた。
「何年か前、そいつに指を思いっきり噛まれてあたし大変だったんだから」
 ライラックは白い人差し指をぴっと立てて水槽を恨めしく睨んだ。
「本当、こういう趣味の従兄弟を持つと大変だわ」
 ライラックが目を向けた先には、珍しいものが沢山飾ってあった。見たことのない地形の地図だったり、ドラゴンの模型だったりする。
 彼女は、長い廊下の突き当たりで止まる。白いドアに張り紙がしてあった。『防音防御魔術!』と荒々しい文字で書いてある。ビスタたちにはそれがなんだか分からなかった。
 彼女はつんとした高い声で白いドアに叫ぶ。
「ソロ。入るわよー」
「えっ? わわわっ、ちょっと待って! わあああっ!!」
 返ってきた声は、最後は悲鳴に近いものに変わっていた。次に軽い爆発音がして、ライラックは呆れたようにため息を付いた。
 そしてドアの向こうの許可も待たずに扉を開く。
「――ぎゃ!」
 ドアが開いた瞬間に短い悲鳴と小さな爆発音が響く。
 部屋は一瞬真っ白に光った。
「ソロ……何やってるの?」
「ちょっと……反射魔術の練習を……げほっ」
 部屋に魔術のにおいが立ち込めている。
 今の爆発で発生した灰色の煙にむせながら、人影がのっそりと現れた。
 それは黒いローブをまとった青年だった。髪は白く、肌もライラックのそれと同じように真っ白だった。
 彼はライラックの後ろの影に気付き、咄嗟に掛けていたメガネを取る。
「お友達?」
「お客様よ。ビスタとマルメロっていうの」
「この人は?」
 ビスタが男のほうに目を向けて、ライラックに問う。
 彼女は黒い瞳で男を見て、口を開くのを促した。
 男はライラックとビスタたちを交互に見ると、優しそうな微笑を浮かべ、落ち着いた声で口を開いた。
「えっと、ソロ=ジュエンリヴァスと言います。ジェフラン教の教会術者です」
「あたしの仕事の相棒みたいな奴だと思ってくれればいいわ」
「教会術者? 神父様じゃないの?」
 マルメロは、彼の服を見て目を丸くする。
 たしかに、教会術者が着用しているローブは白が普通だ。しかし教会術者と名乗る目の前の彼のローブは黒い。
 彼女の視線を受けて、ソロは軽く笑って黒いローブをはためかせた。
「僕は術者の仕事より、教会で司祭の手伝いをすることが多いから。術者の仕事もしてるんだよ、一応……」
「ソロは魔術が苦手なのよ。教会術者のくせに」
 ライラックは呆れた響きを含みながら、彼を見上げる。
「そりゃあ、君には大抵の術者は敵わないよ。君はルーガスの名門、ガーフィー家の術者なんだから」
「ルーガス?」
「あの北のほうにある『白い街』?」
 ビスタとマルメロの問いに、ライラックはにっこりと笑顔を作ってみせた。
「ええ。あたしたちはルーガス出身なのよ」
「あ、それならぼくでも知ってるよ。ジェフラン教の開祖地でしょ? 山に囲まれてる街『ルーガス』」
 ビスタが思い出したように指を立てると、ソロが嬉しそうに頷いた。
「うん。ルーガスの人たちは皆魔力が強いから、魔術を使う職業に就く人が多いんだよ」
「そう言われれば、二人の肌真っ白だね」
 彼が言う通り、ライラックとソロの肌は雪のように白かった。
 ルーガスの人間は、普通の人間と比べて大抵肌の色素が薄い。思い出せば、ドニも白い肌をしていたかもしれない。
「僕の父はルーガス人だから。リラはご両親ももちろん、家系図を辿っても、ルーガシアンだよ」
「リラ?」
「あたしのミドルネーム。実家ではわりと呼ばれる名前なの。まあ、あなたたちも好きに呼んでくれていいわよ。ビスタ、マルメロ」
 彼女は、上品に口元をにやりと上げる。
 そして吊り上がった真っ黒な瞳で目の前の客人を鋭く見つめた。
「じゃ、説明するわ。『あたしたち』についてね」
「教会術者でしょ?」
「ええ。『反王子派』の教会術者」
 ビスタとマルメロはその単語を理解出来ていないようで、複雑な表情を浮かべている。
 ライラックは優雅な動作で机に腰を下ろし、不敵に笑った。
「今の教会内部って実は二つに分かれているの。『王子派』と『反王子派』。まあその名の通り、王子側なのかそうじゃないのかってことね」
「王子ってフィバクスに居る王子?」
「そう。西地方を治めている王のご子息。王都市フィバクスのクラウィウス王子よ」
「あ、そうか。たしかこっちって王族が教会を動かしてるんだよね?」
「ええ。ご存知の通り、西地方ではジェフラン教会の上には王族。でもね、今は王じゃなくて王子が実権を握ってるのよ。ややこしいことに」
「なんで?」
「王子が変な力を持ってるから」
 ライラックのぴしゃりとした言葉に、ビスタたちは目を丸くさせる。
「変な力?」
「そう。それを教会の上層部が利用しているの。あたしたち『反王子派』は、そんな教会――『王子派』に反旗を翻している派閥よ」
「王子派に目を付けられるから、今はまだそんなに表立った行動はしていないけれどね」
 ソロは部屋に散らばった分厚い本を片付けながら、やんわりとライラックの言葉に付け足した。
 ビスタが一息付いて、言葉を返す。
「つまり、王子派から教会を奪い返したいの?」
「王子を玉座から引きずり落としたいの」
 ライラックは、手に持っている長く白い杖を片手で弄りながら言い放つ。
 その言葉に迷いの響きは感じられなかった。
「何だかすごい内容聞いちゃったような気がするけど、いいの?」
「いいわよぉ。この街はほんどが反王子派だし、この街に来るにはややこしい道通らないと一般の教会術者は来れないし」
 彼女は「それに、」と言って黒く縁取られた瞳をぱっちりと開く。
「マルメロのお友達だって、王子派に捕まっちゃったんだから」
「え、そうなの?」
「ティルエスに運ぶなんてそうとしか考えられないわ。今、あそこは王子派の研究者や術者たちが変な実験を繰り返しているところだからね」
「……あのさ、もしかして」
「はい。なあに、ビスタ」
 教師のような厳粛な微笑を浮かべ、ライラックは彼を示した。
「その――ティルエスの、研究施設を……襲撃するか、何か?」
「そうだけど」
 けろりと答えた彼女に、ビスタとマルメロは驚いて目をぱちくりさせた。
「えっ……かなり難しいんじゃないの、それ」
「普通に考えれば難しいわね。でも、あたしたち『反王子派』ならそれが出来る。この日のために長く準備してきたんだし、そもそもこれが成功しないと、あたしも困るわ」
 ライラックは、白い杖を力強く握り、黒い瞳で軽くウィンクした。
「……ライラちゃんは、どうしてそこまでするの?」
 マルメロが問うと、彼女は一瞬の沈黙の後、小さく口を開いた。
「マルメロと同じ。助けたい人がいるからよ」
 彼女はそう言って、意味ありげに目を伏せた。
 次に顔を上げた時には、そこに元通りの笑顔があった。
「さあ、説明は終わり。今度はそっちの番よ。案内してちょうだい。そのリントとかいう奴のところに」
 ライラックは、座っていた机から身軽にジャンプする。
 白い手を二、三度叩きながら先頭を切って歩き出した。
「えっ、行くの?」
 部屋の扉を開くライラックの背中を、ビスタが呼び止めた。
 彼女は白いローブをはためかせ、高い声を上げた。
「当然よ。せっかくの手がかりだもの。あいつ、王子派の幹部が機密で探してる奴にそっくりなのよ。そしてあたしは、王子派について一つでも情報を集めたい。そのリントってやつに聞けば何か有力な情報が聞けるかもしれないもの」
「リントさん教会術者嫌いみたいだけど……大丈夫かな?」
 マルメロは隣のビスタへこそりと話しかける。
「大丈夫だよ。……多分」
 ビスタにも正直分からなかった。

 ライラックの声に急かされながら、彼らはドニの家を後にした。



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