レプリカのうた -Replica's Song-
第3章:学者の住む街



 第17話 ドラゴンの飼い主(2)


 ドニと名乗る男は、無邪気な笑顔が印象的だった。
 面倒臭そうにまとわれた白衣と、丸いメガネのおかげで、賢そうに見える。
「おい、テディ! 一般人は襲うなって言っただろ!」
 ビスタたちのほうに背を向けながら、彼は巨体なドラゴンに向かって叫ぶ。
 それはまるで、小動物のペットを相手にしているような言い方だった。
 だが目の間にいるのは、どう見ても小さいペットではなく、巨体なドラゴンである。
「君達、ごめんね。いつもはいきなり人を襲うことなんて無いんだけど」
 男がこちらを振り向き、申し訳なさそうに眉を下げた。
 むしろ、ツキが攻撃したことが原因なので、謝るのはこちらのほうだ。
「ええと、その……」
「普段こんなとこに人なんて来ないからさ。きっとこいつも驚いたんだな」
 男はそう言うと、目の前の大きなペットの胴を愛しそうに撫でる。
「え? 普段、あんまり人が来ないってこと?」
「ああ。昔は使われてたみたいだけどな。地形が変化して使われなくなっちまったみたいだぜ。俺の友達の爺さんの話だけど」
「……やっぱり、ぼくたち道に迷ってるみたいだよ」
 ビスタは、先ほどリント議論していたことを、再び小声で囁く。
 彼はその言葉を鬱陶しそうに睨んだ。
「誰も道を知らなかったんだから仕方ないだろう」
 彼は、そっぽを向いて言い放った。
「――で、君達はピクニックか迷子?」
「ええと、多分迷子」
「あはは。だろうね」
 男は悪戯に片目を閉じて見せると、からからとした声で笑った。
「どこに行きたかったんだ? フォルーネ?」
「ティルエス」
「えっ?」
 ビスタが即答すると、彼の楽しげな表情が凍りつく。

「……ティルエス?」

 彼がもう一度確認するように問い掛ける。
 ビスタは、しっかりと頷いてみせた。

 男は間を空けて笑い出す。
「え、何、どうしたの?」
「あはは。ごめん。でもさ、君達」
 彼はそこでおかしそうに目尻を拭った。
「ティルエスは反対の方向だよ」

「えっ!?」

 それを聞いた瞬間、ビスタとマルメロは同じ表情を浮かべた。
 男はそれがまたおかしかったらしく、しばらくからからと笑った。
「普通に歩いてればそう迷う森でも無いはずなんだけどな……。コンパスは持ってるだろ?」
 彼が言う『コンパス』とは、魔術式コンパスのことだ。空気中の魔力を原動力として働く魔術具の一種である。それを使うと、方位図が浮かび上がり、現在の位置を確認することができる。
 魔術具というのは、魔力を込めた道具のことである。普通、魔術の使えない者でも、魔術具は持っているものだ。魔術具には、様々な形態があるのだが、旅人に好まれているのは、指輪やアクセサリーに魔力を込めたタイプだ。持ち運びがしやすく、使い方が簡単なので、開発以来、旅には欠かせない物となっている。
「コンパスが壊れていたんだ」
 リントが言う。機嫌の悪い声だ。
「そういえば、わたしもランプが洞窟の中で使えなくなっちゃった」
 マルメロが、思い出したように言う。
 そういえば、ランプは彼女が持っていたのだった。
「洞窟? もしかして、あの洞窟通ったのか?」
「うん」
「あー、そうか。そりゃ迷っても仕方ないか……」
 ドニは何かを考えるようにして目を閉じる。
「――あの洞窟はね、『アルブム』の領域なんだ」
「アルブム?」
 ビスタが咄嗟に聞き返すと、答えは目の前の男性からではなく、隣から聞こえた。
 マルメロがぽつりと呟く。
「フォルーネの料亭に居た時、聞いたことがあるよ。たしか、『学者が住む街』……って」
「そう。変わった研究してる学者が多い街なんだ。ちなみに、俺は生き物の生態と魔力・魔術の関係について」
「アルブム? この森は、ティルエスの領土じゃないのか?」
 リントは、相手を睨むようにして聞き返す。
 その反応を見て、ドニはにこにこ笑った。
「うん、あの洞窟から西は『ティルエス』の領域だよ」
 ドニはそう言うと、人差し指で遠くの方向を示した。そちらが西という意味だろう。
 4人の視線がそちらに集まったことを確認すると、今度は反対の方角へと指を移した。
「そして、その洞窟も含めて北東方向の半分が『アルブム』の領域なんだよ」
 ドニはゆっくりと説明した後、4人を振り返り、人懐っこい笑顔を浮かべた。
「そして、君達が迷子になったのは、確実に洞窟に入っちゃったせいだ」
「どうして?」
 彼は、その質問を待っていたかのように、にやりと笑った。
「気付かないか? アルブムの領域は、魔力が遮断されているんだよ」

「え?」
 ビスタは、ふと洞窟の中での出来事を思い出した。
 空気中にあるはずの魔力が薄かったのはこのためだろう。
「よほどの魔力を持った人間以外、この領域で魔術は使えないってことだよ」
「へぇー……」
 洞窟内や先ほど、軽々と魔術を使って見せたツキの存在が頭を過ぎった。
 やはり、彼女の魔力は特殊なのだろうか。
 ビスタは、思い出したようにツキへ視線を向けると、彼女はいつも通りにぼんやりと宙を見つめているだけだった。
「どうして魔力を遮断してるの?」
「さあ、どうしてでしょう」
 マルメロの質問に、ドニは楽しそうに聞き返す。
 それにどう答えようかと迷っていると、鋭い声が凛と響いた。
「教会の存在を遠ざけるためだろう」
 リントが呟くと、ドニは驚いた表情でそちらを見つめた。
 暫くして、また無邪気な笑みを浮かべた。
「察しがいいねぇ、君。まぁそういうことなんだ。教会とアルブムは昔何度か衝突があってね。ほいほいと教会関係者が来たらちょっと具合が悪いわけ」
「魔術の使えない教会術者が、こんな場所通れるはずも無いからな」
 リントは、洞窟の中で聞いたような声色で言い捨てた。そこには、馬鹿にするような響きが隠されているような気がした。
「――さて、それじゃあ迷子諸君」
 ドニは、話を切り替えるように声の調子を変えた。
「今から歩いてティルエスなんて無理だから、今日はアルブムにでも泊まっていけよ」
 彼のメガネがきらりと光り、正午の日差しを反射させた。
 たしかに、今からティルエスへ向かうのは無謀だろう。
 ビスタたちは、素直に彼の申し出を受けることにした。

 歩き始めてしばらくしたころ、ドニは思い出したようにこちらを向いた。
「そういや、洞窟の中にもでかいドラゴン飼ってるんだけど、襲われなかった?」
 その質問を聞いて、ビスタは洞窟の中での一件を思い出す。
 そして気まずさを顔に出して、彼は言いづらそうに口を開いた。
「ええと、襲われたというか……逆に返り討ちにしてしま……ぶっ!?」
「知らないな」
 ビスタの顔を手の甲で殴ると、リントは涼しげな表情で答えた。



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