レプリカのうた -Replica's Song- 第3章:学者の住む街 第16話 ドラゴンの飼い主(1) ビスタがかすかな魔力の気配をたどると、すぐに目的の場所――この騒ぎの原因が見えた。 魔術による衝撃が大地を唸らせる中、彼らは素早くそちらへ駆け寄る。 「マルメロ!」 この轟音が降り注ぐ中で声が届くか心配だったが、彼女は気付いたようだった。 マルメロは、ふいに聞こえた声に安堵したような表情で振り返る。 「ビスタ!」 ビスタの視線は、駆け寄ってくるマルメロに、そしてその後ろの状況へと移動していく。 「――あれっ!?」 彼女の背後の状況を目にした彼は、驚きのあまり黒い瞳を大きく見開かせた。 「また面倒なことを……」 ビスタの後に付いて来たリントは、軽く舌打ちをして、遠くに居る姉から目を逸らした。そして、説明を求めるようにマルメロに視線を送る。 不機嫌な視線に気付いた彼女は、焦ったような様子で口を開いた。 「わ、わたしにもよく分からないの! ツキさんが走って行ったのを追いかけたら、急にこんなことになっちゃって……」 彼女は、そう説明しながら、ゆっくりとした動作で――むしろ、怖々といった様子で、再び後ろを振り返った。 その視線が指す先には、ツキが立っていた。 彼女は手を高々と掲げ、次々に魔術陣を浮かび上がらせ、大規模な魔術を放ち続けていた。 その魔術の放たれた先は、大きな影。 硬い鱗に身を包み、金色の瞳をギラギラとさせているその巨体には、見覚えがあった。 「またドラゴン……!?」 ビスタは、思わず驚愕の声を上げる。 「妙だな……この大陸自体、ドラゴンの住みにくい環境なのに……」 隣では、リントが静かな視線をドラゴンへ注いでいた。 目の前のドラゴンは、先ほどのものと比較すると、大分小さい。 それでも、彼らの身長の3倍以上はあるだろう。 「さっきのドラゴンの仲間かな?」 「いや、それは無いだろう。ドラゴンは群れを嫌い、大抵は一匹でいることが多い。それに、さっきのやつとは大きさも、使っている能力も違うじゃないか」 リントが冷静に説明した。 その淡々とした口調は、どこかの本を朗読しているような、落ち着いたものだった。 「たしかに、さっきのドラゴンは炎吐いてきたり魔術使ってきたりしなかったね」 ビスタは、先ほどの洞窟内の出来事を思い出した。 あのドラゴンは、口から炎を出すわけでも、ましてや、魔術を使うということをせず、ただ彼らを追いかけてくるだけだった。 しかし、目の前のドラゴンは、巨体で人を追い掛け回すということはしていない。ツキに向かって微量の炎を吐いているだけである。 それはどうやら攻撃のためではなく、身を護るために発動しているようにも見えた。 「ねえ、ツキを止めたら、ドラゴンも攻撃を止めると思うんだけど!」 ビスタが張り切った声でリントを見た。 「ああ、姉さんを『止められたら』な」 リントは疲れたように、ため息を付く。 その様子に拍子抜けしたビスタは、眉を寄せて彼に詰め寄る。 「え……。だ、だから、リント止めてよ!」 「はぁ?」 リントは何を言っているんだと言いたそうな表情を浮かべる。 「止められるならとっくに止めてるさ」 「ええっ?」 当たり前と言った様子でさらりと言われた台詞に、ビスタは驚くしかない。彼の顔に焦燥が浮かぶ。 「そ、それじゃあどうするんだよ! このまま止めないと、森が燃えちゃうかもしれ――」 「わっ、ビスタ!!」 「えっ……げっ!?」 マルメロの声が降りかかったと思った時には、彼の目の前には、ツキの腕から放たれた炎が迫っていた。 細かい魔力の粒子が、チクチクと肌をくすぐっている。 「わわっ!」 彼は咄嗟に解術の体勢を作り、自らの利き手に力を込めていた。 ツキの魔術を受け止めるリスクを考える暇などなかった。 ――次の瞬間、 右手に強い衝撃が走る。 咄嗟に左手も突き出し、衝撃を和らげようと試みたが、それもあまり意味の無いことだったようだ。 両腕は、電気が通ったかのように、無数の針で刺されたような痛みが走った。 「ぐ……っ」 今まで何度も魔術を止めた経験があったが、その中でも、ツキの魔術は特殊な感じがした。 通常の魔術とは違う『何か』が混じっている。 肌に感じる痛みを通し、そう直感した。 「止まった……?」 彼が気付いた時、既に辺りは静かだった。 今まで鳴り響いていた爆音と、強い魔力が止んでいる。 彼が目を開けると、天と地が反転していた。 「ビスタ、大丈夫!?」 心配そうに覗き込んだマルメロの顔も反対だった。 「あれ……」 そうだ。 先ほどあの魔術に押されてそのまま背中から倒れてしまったのだ。 「ええと、大丈夫……」 ビスタは、彼女の問いに答えながら、重い上半身を起こした。 魔術を受け止めた腕は未だにピリピリと痺れているようだが、至って大丈夫そうだった。 むしろ、倒れた時に打った腰のほうが痛んだ。 「解術……?」 声のしたほうに目を向けると、リントが驚いた顔でこちらを見ていた。 「あれ、分かった?」 「ルスミア教徒の使う術で、魔術を止めるのは解術しかない」 リントは、整った顔で無表情に納得してみせた。 「どうやら、ルスミア教徒というのは嘘ではないらしいな」 「だから、ぼくは教会とは関係ないってば……」 ビスタがぶつぶつと言いながら立ち上がる。 すると、遠くにある黒い瞳と目が合った。 ――ツキだった。 どうやら今の騒ぎで魔術を打つのを止めたらしく、恐ろしい魔力を感じることはなかった。 彼女も、最初はリントと同じように、驚いた表情を浮かべていた。 しかし、彼と目が合うと、すぐに薔薇のような笑みを浮かべ、そして口の端をニヤリと吊り上げた。 それが何を意味するのかは分からなかったが、ビスタに向けられた表情だということだけは理解できた。 「ツキ……?」 彼女の表情の変化に気付いたのは、自分だけらしい。 ビスタは、訝しげな表情を浮かべる。 しかし、その表情の意味を問い詰める間を奪ったのは、草を踏み締める足音だった。 「なるほどー、解術か」 「!?」 姿を現したのは、男性の影だった。 ビスタの背中に声が聞こえた。 「おお、ごめん、驚いた?」 目の前に現れた男性は、人懐っこい笑みを浮かべている。 こちらの返事が無くても、気にせずに話を続けた。 「森の空気が変わったからびっくりしたぜー。テディが何かしたみたいだなあ。悪いねー」 男性は、そう謝罪しながら、落ち込んだように肩をすくめた。 「『テディ』?」 「ああ、こいつの名前」 そう言って、男は顎で目の前のドラゴンを指した。 「俺はドニ。こいつの飼い主だよ」 男は、無邪気に眼鏡を光らせ、子どものような笑みを浮かべた。 |