レプリカのうた -Replica's Song- 第3章:学者の住む街 第15話 森 踏み込んだ世界は、やはり予想通りの光景が広がっていた。 どこに視線を向けても、緑一色。 木々たちの爽やかな匂いに満ちた場所 そして舗装されていないでこぼこの道。まるで歩きにくいことこの上無い。 それらは先ほどまでの闇とは対照的な場所だが、明るくなったからといって、疲労が減るわけでもなかった。 ふと、目の前を鮮やかな蝶が通り過ぎていく。見慣れない色をしていた。 しかしいくら珍しくてもそれを目で追う気分にもなれず、ビスタは疲れたため息をこぼしただけだった。 「何でいつまでも出口見えないんだろう……」 先ほどからぐるぐると同じ場所を回っている気がしないでもない。否、もしかしたら似ていてかなり違う場所なのかもしれない。 自分たちがどこを歩いているのか検討も付かず、彼らは先ほどから延々とこの緑に歓迎された世界を散策していた。 「はぁ、何でボクまで……。大体、ティルエスなんかに行きたくないのに」 隣からは不機嫌な声が聞こえる。 声の主――リントは、まだぶつぶつと何か呟きながら苛立った様子で髪の毛を払った。 その見事な金髪は、木々の間から零れる光を反射して宝石のように艶めいている。 先ほどから二人はこの調子だった。 洞窟を出たのはいいものの、今度は目的地のティルエスの影さえ見えてこない。 ビスタは退屈そうに欠伸をしながら、ふと宙を見上げた。 「あーあ。ティルエスは見つかんないし、出口も見えないし。これだったらさっきみたいにドラゴンに追いかけられてたほうがまだいいかも」 「はぁ?」 その能天気な発言に、リントはあからさまに嫌悪に満ちた表情を作り、眉根を寄せる。 「だってさぁ、退屈じゃない? 同じ景色の中をずーっと歩いてるのって」 「そうかな? わたしは楽しいよ」 ビスタの問いに答えたのは、不機嫌そうな声では無く、穏やかな明るい声だった。 視線を前に戻すと、先頭を歩いていたマルメロが、朗らかな顔でこちらを振り返っている。 「ツキさんもそう思うよね?」 彼女は笑顔を作り、隣の女性に笑いかけた。 ツキは、突然話を振られたことに動揺するわけでもなく、ただぼんやりとした視線を、声のほうへ向けた。 その漆黒の瞳が虚ろに宙を見つめたかと思うと、彼女は素早く3回まばたきをしてからゆっくりと頷く。 「――ツキって、変わったね」 彼女たちのほうを見ながら、ビスタはふと思い出したように話題を振った。 「え?」 リントは、意外にも驚きを顔に浮かべた。 綺麗な碧眼が見開かれる。 「だって前に会った時は、もっと明るかったっていうか……ええと、うーん……。そうだ、テンションが違ったっていうか?」 ビスタは、首を傾げつつも、記憶の中の彼女と今の彼女を照らし合わせてみる。 おぼろげにしか覚えていないが、確かに目の前の彼女とは、何か違う空気があった。 話題の本人は、色鮮やかな蝶に興味を惹かれたようで、ずっとそちらを目で追っている。 「――お前、本当に姉さんに会ったことがあるのか?」 目の前に視線を向けていたビスタに、横から疑うような声色が降りかかった。 すぐ隣に目を向けると、リントの訝しげな目が突き刺さる。 何かいけないことを言ったような感じがして、ビスタは半ば焦ったように言葉を発した。 「へ? な、何言ってんの、リント。昔会ったじゃん。きみとツキに」 必死で弁解するビスタに対し、彼は呟いた。 「昔のことは、忘れた。小さい頃の記憶なんて曖昧にしか覚えてない」 まるで、汚いものを吐き捨てるかのような物言いだった。 その態度を気にすることもなく、ビスタは言葉を返す。 「ぼくもはっきりと覚えてるわけじゃないけど、リントも喋るようになったよね。昔のリントって、今のツキみたいに無口だったし」 笑い混じりに話したその言葉に、彼は口をきつく噤んだだけだった。 「それよりさぁ、どこまで歩けばティルエスなの?」 ビスタは話題を切り替えるように声のトーンを上げた。 話をしていても、やはりこの景色に終わりがあるようには見えない。 「ボクが知るわけないだろう」 リントはそう当たり前のように言い放った。 「え」 ビスタは、丸い目を大きく見開いた。 それを見ていたリントも、意外な答えに驚いた表情を浮かべた。 「……そっちこそ、知ってて歩いていたんじゃないのか?」 「ええっ!?」 さらにさらりと発言された言葉に、ビスタは冷や汗を浮かべ、あんぐりと口を開けた。 「し、知るわけないよ! だってぼく、そもそもこっちの地理もあんまりわかんないし」 「こっちの地理もロクに分かってないのに、どうしてこんな人気の少ない道を通ろうと思ったんだ? 道ならここじゃなくても、分かりやすいところがいくつもあるだろう?」 リントは呆れたようにため息を付く。 「あ!」 リントの発言に、ビスタはフォルーネでのことを思い出した。 この道を通ることになった少女の一言だ。 「そうだ! マルメロなら分かるかも!」 期待に満ちた顔で、再び前に顔を向ける。しかし―― 「あれ?」 そこに居たはずの二人の姿が忽然と消えていた。 「……また人探しか」 ビスタが何か考えるよりも先に、リントはうんざりと呟いていた 「そっちの連れも、姉さんと同じくらい居なくなるのが好きだな」 「ええと、うん。そうみたい……」 二人は脱力したように違う方向へと視線を向ける。 「森が無くなる前に、見つけられるといいな」 リントがそっぽを向きながら、そうぽつりと漏らす。まるで他人事のような言い方だった。 「え? どうして――」 その時彼の言葉を遮ったのは、激しい爆音だった。 これと同じ音を、どこかで聞いたことがある。 思い出すまでもなかった。 ついさっき、この音――大規模な破壊魔術によって、洞窟を抜け出したのだから。 「ねぇ、リント。この魔術ってもしかして……」 信じたくはないが、思いつく可能性はそれしかない。 「はぁ……」 彼はその問いに答えることもなく、ただ疲れたようなため息を零しただけだった。 「うわっ!?」 再び爆音が聞こえる。 その音は、ここから遠くもない場所から立て続けに響いてきたような気がした。 「と、とにかく止めなきゃ!」 ビスタがそう叫ぶより先に、リントは音がした方へ素早く駆け出していた。 彼を追うようにして、ビスタは地を蹴る。同時に、大きな爆音が、再び森を揺らした。 |