レプリカのうた -Replica's Song-
第2章:闇が照らす中で



 第14話 闇が照らす中で(5)


 彼らの視線の、その先。

 硬い鱗に覆われた大きな身体。
 肉付きの良い尻尾でさえ、彼らの身長の数倍は有る。
 闇の中で金色に光る瞳は、微かに零れている太陽の光を強く反射している。
「――何で、こんなところにドラゴンが居るんだ?」
 その大きさに驚いていたリントは、やっとこれだけを口にした。
 このような場面で驚くのは無理も無い。
 なぜなら、普段、一般人はこのような大型のドラゴンを見かけたりはしないからだ。現代、大型のドラゴンの数さえ少なくなっており、今現在生きているドラゴンでさえも、教会によって管理され、在るべき場所で生活しているはずなのである。
「わっ、ぼくこんなにでっかいドラゴン見るの初めてかも」
「当たり前だ、馬鹿! こんなのそこら辺にほいほい捨てられてたら困るだろう!」
 ビスタのマイペースな発言に、リントは怒鳴り返した。
「ど、どうする?」
 ビスタは、横に居る美少年に少々上ずった声で問う。
 それを聞くと、相手は呆れたようにため息を漏らした。
「どうするって、応戦でもしろって言うのか? ――剣なんかであの甲羅が斬れるなんて思えないけどね……っ!」
 会話の途中でもお構い無しに、ドラゴンは動き始めた。
 振り上げられた尻尾は、彼らの目の前をギリギリに掠めた。
 ビスタは小さな悲鳴を上げて咄嗟に仰け反り、何とかあの巨大な尻尾を回避することが出来た。おかげで、吹っ飛ばされて気絶するような事態は免れたようだ。
 再びドラゴンの巨体が風を切って彼らの元へ向かって来る。
「キミ、その腰の剣は術具? 戦闘用? それとも、ただのお飾り?」
 リントはそれを、慣れてるかのように軽くかわしながら、ビスタに問い掛ける。
「ええと……わっ! これは一応戦闘用だからちゃんと斬れるやつだと思う、けど」
「珍しいな、術具じゃないんだ。――魔術でも使えれば少し考えがあったんだけど……」
「リントは? その剣、術具だよね?」
 余裕でかわすリントとは裏腹に、必死で左右に飛びながら、やっとのことで口を開く。
「……悪いけど、キミの期待通りの物じゃない」
「えっ!?」
 リントはそう言い切り、吊ってある剣の柄に、利き手を回した。
 彼の手には金属の重みが伝わってくる。
 彼は細身の剣を手にしながら、大声で怒鳴った。
「いいかい! ボクらの足元に、大きな術図があるだろう。――それを使う」
「使うって、どうやって!」
「この術図、古い物だけど手を加えればあいつが少し気絶するくらいまでは出来るかもしれない。運が良ければね!」
 そう言いながら、彼は円状に描かれている線の中心へと走る。
「つまりぼくは、少し食い止めてろってこと!?」
「キミが咄嗟に描ける術図とは思えないからさ! それに、キミとボクが二手に逃げたとして、あいつに追われるのはキミのほうだぞ」
 そうビスタに叫びつつも、リントの視線は既に足元の巨大な術図に動いている。彼は、青い液体の入った小瓶を慌しく取り出した。
 それを剣の刃に垂らすと、まるで水のような質感から、血のようなどろどろとした質感へと変化したように見えた。
「えっ……っていうかこいつ、マジでぼくしか狙わないんだけど!」
 ビスタは、術図を描き始めた彼の邪魔をされないように、術図とは反対方向へと逃げた。
 先ほどリントが叫んだ通りに、ドラゴンの金色の瞳は、彼のほうを見向きもしない。
「ぎゃっ! あー……、ちょっと落ち着いてよきみ……」
 ドラゴンの視力は、色を認知することくらいしか出来ないほどに鈍い。しかし、その代わりに、魔力を感知するのに長けているという。
 おかげで、ビスタばかり狙われるのは、リントの魔力よりも、彼の魔力のほうが強く感知出来てしまうからであろう。
 リントが、自分の魔力をなぜ見破ったのかは分からない。しかし、今自分がこうして追いかけ回されているのは事実である。
「――……げっ!」
 ビスタは、何とかドラゴンを食い止めようと、必死で走り回る。彼は、東に居たころを思いだした。そのころは、しょっちゅう走り回っていたおかげで、自身の足の速さには少しばかり自身があった。
 しかし、今は追いかけ回されている相手がドラゴンである。もちろん、その巨体を支える足の歩幅は、ビスタの数十倍である。
 再び、ドラゴンの咆哮と共に、その巨体が彼をギリギリに掠めた。
「ぎゃっ、まだ!?」
 そろそろ危ないと思いながら、彼は遠くの美少年に叫んだ。
 叫ばれた相手は、先ほど剣に垂らした青いインクが流れる様を、ただ冷静に見つめた。
 そして、迷いも無く剣で地をなぞり始めていた。
 剣先が地を掠めると、青いインクが音も無く滴っていく。
 舞うように描かれたそれは、とても複雑なものであるように見えた。剣先が通った後、青いインクは空気中の魔力を吸い込んで、幻想的に光を帯びる。
「――出来た!」
 素早く彼は顔を上げ、円の中心から身をひるがえした。
 それを合図に、ビスタはほっとしたようにドラゴンを円の中心まで誘き寄せた。
 これから魔術を掛けられるとも知らず、ドラゴンは大きな足で、地面を揺らしながら走る。
「わっ!?」
 ドラゴンがそこに乗った途端、円はそれを取り囲み、光の粒を出し始めた。
「早く離れろ、馬鹿!」
 術図の外で、苛々したようにリントは怒鳴る。
 ビスタは急いで円の外側へ逃げ込んだ。
 まばゆい光が、辺りを包む。
 ビスタは、術図が青白く光を帯びている間に、彼の描いた古代文字がとても複雑なものだと理解した。
 こんなものをあの速度で迷わずに描いた彼は、きっと魔術に対する知識が豊富なのだろう。

 そう思考を巡らせているうちに、青い光は、音と共に弾けた。
 次の瞬間、ドラゴンの巨体は、音を立てながら、勢い良く横に倒れこんだ。
 目の前の状況に、彼は少しばかり沈黙を置いて、自分たちの成したことを理解した。

「――やった!」
 最初に嬉々なる声を上げたのは、やはりビスタだ。
 今の出来事に興奮して、思わず笑みを作る。
「……はぁ、一時はどうなるかと思ったよ」
 リントは疲れたようにため息を付いて、ドラゴンが気絶しているのを確認した。
「それにしても、リントは相変わらずすごい魔術使うね」
「は?」
「さっきの術図、間違わずにあの速度で描けるなんて、普通の人じゃ出来ないと思うけど」
 ビスタは褒めている言葉を掛けたつもりなのだが、相手の表情は急に曇り始めた。
 何か悪いことを言ったのかと思いながら、ビスタは次の言葉を待った。
「……相変わらず、って……どういうことだ?」
 リントはしばらくの沈黙のあと、それだけぽつりと言い出した。
 今度は、そう問いを掛けられたビスタ自身のほうが、驚いた表情を作る番だった。
「えっ? ほら、だって昔から魔術の才能すごかったじゃん、リントって。……あ、そういえばぼくのこと思い出した?」
 ビスタは一呼吸置いて、言葉を継いだ。
「小さいころに一度だけ会ったことがあるんだよ。かなり昔のことだから、覚えてなくてもいいんだけど――ええと、ツキとも一緒に」
 その言葉を聞いて、彼の端整な顔が、さらに驚愕めいた表情を作り出した。
「……ツキ……って、姉さんを……知ってるのか?」
 ビスタは、何かいけないことを言ってしまったのだろうかと思いながら、勢い良く聞き返された言葉に唖然とした。
「知ってるっていうか、だって会ったことあるし……」
「ビスタ=……何だって?」
「ブランスト」
「ブランスト……?」

 その時、ビスタは強い魔力の波動を感じた。
「わっ……!?」
 リントのほうを振り向いてみるも、彼は必死にビスタの家名を呟きながら上のほうを見つめている。これほどの魔力に動じない彼は、もしかしたら余程の魔力の持ち主であるのかもしれない。
「リント、何かそこから――うわっ!?」

 爆音が、轟く。
 それと同時に、何の変哲も無い岩壁にぽっかりと穴が開いた。
 どうやら今のは大規模な破壊魔術である。
 辺り一帯は、今の魔術のおかげで、未だに振動を続けていた。
「――何だ!?」
 リントは、事が起こってからやっと事態に気付き始めた。
 二人は一斉に、音がしたほうを振り向いた。
 そこには、人影が現れる。
「ね、姉さん!!」
 ぼんやりとした人影を確認出来るのもままならないうちに、リントは大声を張り上げた。
 そこに照らされたのは、くすんだ金髪を揺らす女性だ。
「あれ、出口……?」
 その女性の影から現れたのは、緑色の髪を揺らす少女。
 ビスタは、驚いて少女の名を呼んだ。
「マルメロ!?」
 名前を呼ばれた彼女は、彼を見て安心したように思わず笑みを零した。
「――ビスタ!」
 なぜ彼女がリントの姉と行動を共にしているのかは分からなかったが、とりあえず相手も探している人物を見つけられたので良かったのだと思うことにした。
「キミの連れも見つかったみたいだね」
 リントはビスタのほうに向き直り、今度は安堵したようなため息を見せた。
 彼のほうも頷き返す。
「うん。――あとは出口を見つける為に、上り坂でも……探そっか?」
 そんな彼らの会話に、一切疲れた様子も見せていないマルメロは、きょとんとして言った。
「出口って、光が出てるほうの壁、壊せばいいんじゃない?」
「え?」
 笑顔で暴力的な言葉をさらりと言いながら、マルメロは後ろの女――ツキに、視線を送る。
 彼らは、嫌な予感がして、すぐに顔色を変えた。

 ツキは、そんな彼らをお構い無しに、前へと踏み出し、光の零れている壁へ手を向けた。
 そして次の瞬間には、激しい爆音と共に、薄い岩壁があっさりと破壊された。  そのぽっかりと開いた穴の先には、優しい緑の世界が静かに佇んでいた。
 ビスタとリントは、げんなりとしながら、目の前に現れた緑色の坂道を見た。同時に、疲れが過ぎった気がした。

 彼は、今日のことを振り返り、目を閉じた。
 日はそろそろ下り始めている。
「……ええと、」
 もう岩壁はたくさんだ。
「疲れたね……」
「ボクもだよ……」

 二人のため息は、緑色の空気の中へ、簡単に溶けた。

 目の前は、再び、緑の世界だ。
 彼らは、それぞれ違った表情を作りながら、人工的に作られた穴をくぐり抜けた。

 目的の街、ティルエスを、目指して。


<第2章 END>


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