レプリカのうた -Replica's Song-
第2章:闇が照らす中で



 第13話 闇が照らす中で(4)


「……今さぁ、遠くのほうですごい音しなかった?」
 ビスタは、進行方向とは逆の方――たった今音が聞こえた方向に首を向けて、そう話を切り出した。
「え?」
 彼の言葉に気だるそうに反応したのは、前を歩く人影だった。
 微かに布の擦れるような音がした。それによって、彼――リントがこちらを振り向いたのだと分かる。
「それと、魔力の気配も少し感じたような……」
 そう言って、ビスタは少し感覚を研ぎ澄ませた。
 以前にも述べた通り、魔力とは、一般的に二つの意味を持つ。一つは、人々の身体の中に自然と存在する力のこと。そしてもう一つは、空気中に分散している魔力の粒子のことだ。
 上の通り、人は元々魔力と呼ばれる力を少なからず持っている。それは術者においても、一般の者においても、変わりはしないことである。
 空気中の魔力は、自然と空気に溶け込んでいるので、普段の生活ではあまり意識することは無い。
 しかし、魔術を使うと、それを行った『術者の魔力』と『空気中の魔力』とが共鳴し、術者の周囲では空気中の魔力がはっきりと感じられるようになるのだ。使う魔術や術者の魔力の大きさに比例して、それに影響を与える範囲も様々である。
 ビスタは、元々解術を学んでいたこともあって、一般の者よりも魔力に対する感覚が少しばかり鋭かった。
「魔力の気配だって?」
「うん、リントも感じたよね?」
 当たり前のように求められた相槌の返事を待たずに、ビスタは間を置かずに口を開く。
「あれ? でも、まだここらへんの空気には魔力が無いような……」
「誰かが遠くのほうで魔術を使っているんじゃないのか?」
 ビスタの語尾をリントが静かに引き継ぎ、そして今度は彼が説明口調で話す番だった。
「……さっきより、風がはっきりと感じられるようになった気がする。多分、そろそろ出口に近いと思うんだけど」
 憶測にも似た言葉が響き終わると、その闇の中では再び靴底の音が鳴り始めた。
 先ほどよりも心なしか早くなっているそれに合わせるように、ビスタもあわてて走り出す。


「あっ、出口かも?」
 ビスタの声は、足音しか響かない沈黙を再び破った。
 彼らの前方には、微かだが、弱弱しい光が差し込んでいたのである。
「可能性としては考えられるけど、そうかな?」
 ビスタの声とは対照的に、リントは静かに言葉を告げた。
 その反論に、ビスタは首を傾げて返答を待った。
 そして、少しの沈黙の後、彼は再び説明を始めた。
「さっきから、やけに天井が広くなっていると思わないかい? 声の響き方からして、上はよほど高いみたいだけど」
 ビスタは、気付いたように頭の上を探ってみた。案の定、空気ばかりしか掴めない。
 リントは歩きながら解説する口も休めなかった。
 二人分の影が、暗闇の中で光を目指しながら歩いている。
「入り口の天井はこんなに高くなかったし、ここに来るまでの道も下り坂だった。それに、川が流れているのはティルエスの地下だ――以上を踏まえると、ボクらは地上よりも離れた場所を歩いていると思わないかい?」
 淡々と簡潔に要素を並べた説明に、ビスタはただ素直に頷くばかりだ。
「ってことは、この道が上り坂にならない限り、出口には付けないってこと?」
「そういうことだ」
 その言葉に、軽く笑いを含ませて、彼はビスタの言葉に同意した。
 微かな光はすぐそこにある。
 光の零れている場所を曲がると、そこは――

「……わっ、広っ」

 ビスタの目の前に広がるのは、言葉通り、やけに開けた空間だった。
 岩で作られた天井は、とても遠くにある。横に広がる空間もとても広い。
 先ほどの推測の通り、そこは出口では無かったし、目の前は冷たい岩たちが黙り込みながら少年たちを囲んでいるのは変わらない。
 しかし、今度は広く伸びた天井の隙間から、外の光が温かく差し込んでいた。
 おかげで、今まで闇に照らされていた視界は、少々眩しさを感じつつも、明るいものになっていた。
「……何だこれ? でっかい魔術の、跡……?」
 ビスタが目に留めたのは、岩造りの床に描かれた大きな術図である。
 術図とは、魔術を行う為に術者が描く図形のことである。
 大規模なものであるほど、大きな図形と大きな魔力、そして人数が必要だ。
「……多分、昔の教会術者が使った儀式の跡だろうね」
 広さに感動しているビスタを現実に引き戻したのは、後ろからマイペースに歩くリントだった。
 ビスタはゆっくりと、再び説明調な口で言葉を返すリントをふりかえる。
「この洞窟は教会の所有物だ。今は教会の奴らの通り道としてしか使用されていないけれど、昔は儀式や実験の為にこの広間で魔術を行ったんだ。教会関係の資料にも書いてあった気がする」
「――……リント?」
 差し込む光のおかげで視界が見えるようになった彼は、ふりむいた先のリントを見て、驚いたように息を呑んだ。
 光の下で照らされた彼は、美少年と言ってもいいような顔立ちをしていた。むしろ女性ともとれる中性的な容姿は、ただそこに立っているだけで強い存在感がある。
 柔らかい日差しが、彼の凛とした金髪を照らす。
 金に縁取られた瞳は、澄んでいるような深い青。
 しばらくビスタが目を離さないで居ると、彼は呆れたようなため息を付いた。
「はぁ……何?」
 このような事態には慣れているのか、彼は碧眼を不機嫌に揺らす。
 しかし、ビスタがリントを見ていたのには、何も綺麗だからではない。
 別の理由が、あった。
 やっとのことで、ビスタは口を開く。
「リント……だ」
「はぁ?」
 相手の言葉が、自分のことを再度確認するようなものだったので、名前を呼ばれた彼は眉を潜めた。
「リントだよ。やっぱり、リントだ!」
「何を今更……そうだよ、ボクはリントだけど?」
 こちらの言っている意味がどうも分からない様子で、彼は怪訝そうに相手を見つめた。
「だから、さっき話したじゃないか。ぼくの知り合いに"リント"がいるって」
 ビスタは、少し高いところに位置する青い瞳に問いかけた。
 相手は、綺麗な碧眼を不機嫌そうに揺らすと、そのまま彼を見下ろして言い放つ。
「ボクはあまり他人と関わらないし、キミと関わった覚えもない。人違いだろう」
「違うってばー! ええと、ほら、東のビスタ=ブランスト。きみの従兄弟の……」
「従兄弟だって?」
 ビスタのその言葉を繰り返しつぶやきながら、彼は思い出すように光の差す空を見つめた。

 しかしその思考も、次のビスタの叫びによって中断させられることとなる。
「――あー……れ?」
 リントが思考を回転させた途端の叫び声に、彼は背けた身体を、再び相手のほうへ戻した。
「今度は何だ?」
 ため息混じりのそれは、少々苛立っているように聞こえた。
 しかし、ビスタはそんなことをお構い無しに、広い空間を真っ直ぐに見つめながら返す。
「今、あそこの奥の岩、動いた気がして……目の錯覚かもしれないんだけど」
「岩?」
 ビスタが真っ直ぐと指し示すほう――この広間の、ずっと奥だ。
 どうやらこの広さは、奥のほうまで続いているらしい。しかし、ビスタたちの見つめた向こうにに光は届いておらず、広いというのにそこだけは闇に埋もれて陰っていた。
 目を凝らすと薄暗い中には、その空間にすっぽりと入るくらいの――つまりとても大きいシルエットがそびえていた。
「ね? でっかい岩」
「ていうかあんなでかい岩なんて……あるわけ……――」
 リントが否定しかけた途端、それは起きた。

 突然、地面に強い揺れが生じたのだ。
 同時に、大きな獣の咆哮のような声がその広間内、否、その洞窟内に響き渡る。

「わ……っ! ね、動いたよね?」
 今の揺れに驚きながらも、ビスタは得意気な顔を作り、横に居る相手に顔を向けた。
 その相手は、彼のほうを振り向きもせずに、目の前の影に驚いた表情を作る。整った顔立ちが、驚きに動く。
「動いた……というより、あれは――」

 再び、地が揺れる。
 影が、静かにこちらに動く。

 それは、声高く吼えたけ、そして淡い光の下に、ゆっくりと姿を現した。

 リントは、深く澄み切った青い瞳を、苛立ちめいたように細める。
 そして、それの名を小さく零した。

「――……ドラゴン」



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