レプリカのうた -Replica's Song-
第2章:闇が照らす中で



 第12話 闇が照らす中で(3)


 薄がりな闇の中、道は既に途絶えていた。
 後に広がるのは、仄かな光に照らされた闇と、ささやかな水の音。
「――水を追ってきたのはいいけど……」
 そう困ったように呟いて、少女――マルメロは、手元のランプを前にかざした。
 気休め程度の薄明かりは、先ほどから変わらぬ風景を弱弱しく照らし出している。その明かりの先は、水の水路しか存在しなかった。
 そこをどう見ようとも、人が歩いて通れるような安全な岩道などは無い。
「うーん」
 引き返すか、道を探すか、それとも他の方法を考えるか。
 先ほどからそんなやり取りを自身の中で繰り返して、彼女は何度もため息を付いていた。
「どうしよう……」
 マルメロが途方に暮れた声を発するも、それを聞く者は誰も居らず、ただ薄暗い闇に飲み込まれるだけだった。
 どうやら天井は高いところにあるらしく、上部がとても開けた空間なのは理解できた。
 もう少しランプが大きければ上を照らせるのに、と思いつつ、彼女はその明かりで再び目の前の――行き止まりとなっている岩の壁を確認するように見つめた。
「――うん、いつまでもこうしてるわけには行かないよね。引き返そう!」
 決意したように、己の身体にそう言い聞かせ、彼女は勢いよく踵を返した。

 ――その時だ。
 空気中の魔力が、大きく揺れた感じがした。

「え……?」

 マルメロが、そちらの方向――彼女から見て左の壁を見た。強い反応はそこから感じたものだったからだ。
 しかし、そこには、ただ冷たい岩の壁が広がっている様子しか無い。
 彼女が思考を回転させるよりも早く、次の瞬間には、大きな爆音がする。
 フォルーネで嫌なほど体験したあの強い魔力を――否、むしろそれ以上かもしれない。
 まるで空気だけで肌が裂かれるような、鋭い強さの魔力が、彼女の肌を掠めた。

 この魔力の出所を確認するよりも早く、目の前の壁は光に包まれる。
「っ!」
 彼女は闇の中で不意に照らされた明かりに思わず目を瞑った。
 そうしている間にも事態は次々と展開されていく。
 次にマルメロが目を開くころには、その硬い岩壁は、嘘のように砕け散っていた。


 空気中の魔力の反応は、まだ落ち着いていない。
 しかし、先ほどよりは少しばかり沈んだような気がする。
 何が起こったのか、いまいち理解できていないマルメロは、ただ呆然と立ち尽くした。
 先ほどまで薄明るいランプが照らしていた岩の壁は、何かの口のようにぽっかりと穴が開いている。
「………」
 フォルーネで慣れてしまったのか、それとも彼女の元々の鈍感さ故か、彼女は怖がるよりも先に、驚いてしまう。
 一体何が起こったのか。
 それの答えを自分が知るはずも無い。
 マルメロは、薄暗い闇の中で、現実を確かめるかのように何度もまばたきを繰り返した。
 眼下には、現実を照らし出す光が、弱弱しく目の前の闇を見つめていた。

 彼女が人工的に作られた穴を見つめていると、突然人のような影がそこから姿を現した。
「あ……っ」
 人の気配を感じてか、マルメロは思わず声を上げてしまう。
 しかし、その影はこちらに気付いていないのか、暗い穴から出てくる速度は依然として変わらない。
「あの……」
 マルメロは、元は岩の壁だった穴へ小走りでたどりつくと、その影に声を掛けた。
 近くまで来てみると、今の魔術の破壊力が嫌というほど確認出来た。硬い岩は、見事なほど、綺麗に砕かれているのだ。
 相手は明かりを持っていないようだった。このようなく暗い闇の中では、気休めといえど、マルメロのような小さい明かりでも持っているのと持っていないのでは、大分心持が変わってくる。
「…………?」
 相手は初めてこちらに気付いたかのように、ゆっくりとした動作でマルメロのほうを見つめた。
 そのか弱い明かりに照らされた相手は、黒い服を身に纏った女性である。やや暗みがかった金髪をゆらし、話しかけてきた相手――マルメロのほうを見て、静かに小首を傾げた。
「えっと、あのー……えっと、迷子、なんですけど……」
 久しぶりの人影に思わず話しかけてしまったが、実際自分が何を言おうとしたのかは分からない。自分でもわけのわからない言葉を並べて、自身の置かれている状況を伝えようとした。相手に伝わるのかは疑問な言葉の羅列が、薄明るい闇であわただしく響く。
「………」
 女はその返答に、さして不快を抱いたわけでは無さそうだ。マルメロの顔を、ただぼんやりとした黒い瞳に映しただけである。
 何か考えがあるのか、彼女は素早く3度まばたきをしながら少女の手を引いて、道の奥へ進んだ。
「わっ……そっちは道が無くて、今引き返そうと思ってて……」
 女にいきなり手を引かれ、彼女はあわてて事情を話した。
 相手はそれを聞いているのか、それとも聞いていて流しているのか分からなかったが、無視をしているわけでは無さそうだった。ぼんやりと、行き止まりの壁の前で立ち止まる。
「へっ?」
 女がなぜここで止まったのかは分からない。マルメロは、気の抜けた返事を相手に返した。
 それを聞いた女は、上品な顔立ちをきょとんとさせてマルメロのほうに顔を向けた。
 そして、細い指で行き止まりの壁を指しながら首を傾げるような動作を作った。
 マルメロにとって、それはまるで、この先に行きたいのかと聞いているように思える。彼女は、女に見えるように、首を上下に振った。
「その先に行きたいんですけど、道が……」
 彼女の言葉はそこで静止された。相手は、その言葉を聞き、漆黒に艶めく瞳を笑うように緩ませる。
 相変わらずぼんやりとした瞳で、再び彼女は岩の壁に向き直り、両手でそれに触れた。
 マルメロは彼女の行動を理解するわけでもなく、ただ相手の行動を見守るだけだった。これから何が始まるのかは、見当もつかない。
 女はそっと目を閉じる。
 刹那、温かくも冷たい風が、どこからとも無く辺りを包み始めた。
「……っ!」
 マルメロは、先ほどと同じ、強い魔力が集まるのを感じた。
 集まる先は、――目の前にいる女性だ。
 壁に付けた彼女の両手を中心に、光の線は一瞬のうちにして入り組んだ魔術を描いた。
 それが完成したと同時に、魔力が一斉に彼女へ集まる。
 目の前のくすんだ金髪は音も無く風に乗り、そして同時に爆音が聞こえた。
 マルメロは、先ほどと同じように眩しさのあまり、両目を瞑った。
 次に目を開けたにはやはり、先ほどと同じ光景が、当たり前のように広がっていた。
「……わっ……!」
 目の前の女性は、どうやら道の無い場所でも自力で穴を開けて進んできたらしい。
 マルメロは、今の光景に、大きい瞳をさらに見開きながら素直に驚いた。
 しかし、凄まじい力を発揮した本人は、疲れるわけでもなくのんきに服についたホコリを払っている。
「………」
 女は彼女の持っているランプに手をかざす。
「え……っ?」
 相手が手を一振りすると、頼りにしていた弱々しい明かりが消え失せた。
 再びあたりが闇で覆われる。

 だが、明かりが消えた瞬間、目の前で小さな魔術陣が浮かび上がった。
 真珠ほどの大きさの、小さな光の粒たちが、彼女たちの周りにきらめきながら浮かんでいるのである。それらは小さくてもとても明るく、やはり目の前の女性が魔術を使って出したようだ。
 おかげで、辺りが先ほどとは比べ物にならないほど明るく照らされている。
「すごーい!」
 マルメロは思わず小さく拍手をし、それを受けた女性は薄く笑った気がした。
 ぼんやりとした黒い瞳で彼女を見つめながら、相手は自分の片手で、目の前を指差した。
 目前に広がる、人工的に作られた穴を、静かに、指し示した。

 闇を照らす眩しい光は、彼女たちの進路を希望のように照らす。
 マルメロは、女性のくすんだ金髪を見て、先ほどまで一緒に居た少年を思い出させる色だと思った。
 そう思いながら、彼女は、女にゆっくりと手を引かれる。

 まばゆい闇の中を、二人分の影が、静かに歩き始めた。



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