レプリカのうた -Replica's Song-
第1章:逃げ出した駒



 第8話 逃げ出した駒


「それではフォルーネ教会長、お元気で」
 夜闇にまじるような黒い髪を揺らし、それは意味あり気な微笑を浮かべた。
 月明かりが照らし出したのは、象牙のような白い肌だ。
「道中お気をつけて、リーディアス=ガーフィー」
 それに返す声は、旅の安全を祈るとは到底思いがたく、むしろそれを呪うかのような呪詛にさえ聞こえた。
 そんな露骨な態度を気にするふうでもなく、男は大袈裟なため息を漏らす。
「明日の朝までにつければいいのですが……」
 黒髪の男は、演技めいた調子で真夜中の月を見上げ、皮肉気に続けた。
「――まぁ、仕方ないです。このような事態は予測さえして居なかったので、ねぇ教会長?」
「全くもって」
 男と少年を交互に見ながら、教会長は舌打ちまじりに頷いた。
 教会長が視線を向けた先では、黒髪の男が少年を乗せ、また、自身も馬車に乗り込むところだった。
 黒髪の男は、もう一度、教会長である男をふりかえり、花の咲くような微笑を浮かべながら、別れの挨拶を告げる。
「それでは――」

 ――その瞬間、閃光と爆音が、その場を駆け抜けた。

 酷い眩しさのあまり、彼らは咄嗟に目を閉じてしまう。
 黒髪の青年はどうにか事態を確認しようとその瞳を開くが、辺りは酷い煙に包まれていた。
「……っ」
 黒髪の男は、長い漆喰塗りの杖を握り締めた。
 それを掲げる頃にはもう既に、口の中では詠唱が完成されている。
 男の魔力が、媒介である杖に集中し、それは『魔術』となり、はじけ飛ぶ。
 彼の言葉に合わせ、煙が踊るようにして風と共に消えていく。
 まるで煙が空気に溶けるように、辺りはすっきりとした世界が広がった。

 教会長は、驚きを隠せない表情で瞬きを繰り返す。
「一体、何だった――」
 しかし、その独り言を言い終える前に、その胸倉は、何者かによって荒々しく掴まれている。
「……っ……探しなさいっ!!」
 先ほどまで嫌味なほど笑っていた黒い瞳が、凄味のある形相で、叫ぶ。
 否、吼えるという表現のほうが近かっただろうか。
 どちらにしろ、その黒い瞳がやけに苛立っていたことだけは確かだ。
「今すぐ……探しなさい!」
 それが真っ直ぐに伸ばした指先――少年が居たはずの馬車の中は、既に、空となっていた。




「ビスタ、すご〜い」
 マルメロは興奮したように、前を走るビスタに言葉を掛けた。
 前を走るビスタは、ジュンの手を引きながら、微かに笑った。
「ちょっとした子供騙しみたいな物なんだけど、魔力を中に入れて、投げるだけで魔術が発動するようになってるんだよ」
 ビスタはそう言って、先ほど投げ込んだ物と同様の物を取り出し、補足を加えた。
「誰かをおどかしたり、逃げる時に目をくらましたり……。まぁ、こっちではいたずらによく使ったりしてるんだけどねー」
 それは円盤状になっていて、手の平に収まるくらいのサイズだった。
 くすんだ赤いそれの表面はつるつるしている。こちらで例えれば、その外見はヨーヨーに酷似していた。
「それより、どこまで逃げればいいんだろう……」
 片手でジュンを引きずりながら、彼は途方に暮れたような声を出した。
 マルメロは、彼の問いにさらりとした口調で返した。
「えっとね、フォルーネを抜けたら、森があるんだけど、そこがティルエスっていう街に繋がってるよ?」
 彼女の当然と言ったような返答に、彼は思い切り顔を後ろへ反らした。
「次の街まで逃げるの!?」
 黒い瞳孔をさらに丸くして驚いたビスタだったが、彼女のほうも彼女のほうで、そんな彼の反応に驚いたように目をぱちくりさせている。
「だって、さっきの人たち来ちゃうよ?」
 彼女はそう言いながら、後ろを返り見た。
「大丈夫! 森で少し隠れてれば、もう逃げたと思うよ、うん! 決定! 行こう、ジュンくん」
 彼女はすぐに笑顔に戻り、持ち前の強引さで彼ら二人を引きずるようにして前へ進む。
 しかし、そんなマルメロに抵抗するのは、先ほどからぶつぶつと呟いているビスタだけで、ジュンはというと、何の反応も示さない。果たして、昼間の威勢はどこへ行ったのか。
「うーん、ジュンはどうしたんだろう」
 すぐそこに迫る街の門を目指しながら、ビスタは不思議そうに疑問を放った。
「目を開けながら寝てるんだよー、きっと」
 そんな彼の質問に、少女は楽観的な返答を返し、走る速度を落とすことは無かった。
 彼はその言葉で自身を無理矢理納得させながら、目の前の門へと走り続けた。
 ジュンは彼らに引きずられるようにして、街から連れ去られようとしていた――。

「ストップ!」
 裏路地に身を潜めるようにして、ビスタは声を上げた。
 彼らの眼前に広がるのは、フォルーネを抜ける為の門――そして、あたりをうろつく教会術者たちの姿だった。
「あれ、何で?」
「もうバレちゃったの?」
 二つの声は、ほぼ同時に、ほぼ同じくらいの声量で重なった。
 潜めあった声は、裏路地に少しばかり響いただけだった。
「どうしよう……」
 マルメロがそう呟くと、ビスタはマルメロの腕を掴み、にっこりと笑った。
「強行突破、だよ」
「えぇっ……!」
 彼は、少年と反論する少女の腕を掴んだまま、強く地を蹴った。
 先ほどより速さを増したそれは、教会術者の白い影が気づいたときにはもう遅く、風のように門を駆け抜けた。

 否、――駆け抜けると、思われた。

「ジュン!?」
 ビスタが、片腕の重みが無くなった事に気づき、咄嗟にそちらに目を向ける。
 視線の先に立っている、囚人服を纏う少年の瞳は、夢から覚醒したようにハッと見開かれていた。
 空気中に、昼間のような魔力が溢れ出す。
 そして、それらの現象に彼らが気づく頃にはもう既に、昼間のような轟音が、周囲の耳を貫いていた。
 煙が彼らの視界を覆うようにして広がる。
「ジュンくんっ!」
 そして、その煙が晴れた頃には、ジュンと呼ばれた少年の背中は、素早い速度で遠のいていく。
 昼間の悲劇で廃墟と化した場所に、有るはずの無い人影が現れたのは、その時だった。
 ゆらりと飛び出した人影は、一瞬誰もが幽霊かと見間違うかの速さだった。
 ビスタたちは、その黒髪を見て昼間の一件を思い出す。
 相変わらず薄気味悪い微笑を口の端に浮かべた男は、自らに突進してくるジュンにゆっくりと杖をかざし、口の中で素早く詠唱を紡いだ。
 空気がざわめくのがわかる。
 肌越しに、魔力の粒子が、男に集まっていくのが、わかった。

 間に合えばいい、その思いと共に、ビスタは地を蹴る。
 いつもと同じように、彼は『解術』を発動させた。
 魔術の流れを肌で感じ取り、それを小さな魔力の粒子として分散させ、空気中へと戻す。
 これが、彼の――解術師としてのやり方だった。

「え……?」

  『解術』が発動したかと思った矢先に、何かの弾ける音がした。
 近辺には、乾いた音が、小気味良く響く。
 彼の腕を通して、防ぎ切れなかった魔術が、衝動に変わった。
 そのおかげで大きく後ろへ吹き飛ばされた少年たちは、自らの術が成功しなかった事実を悟る。
 掠れゆく意識の中で、今度は自分が溜めた魔力が、手のひらから零れるようにして、空気中へと戻っていくのを、感じた。

「ビスタ! ジュンくん!」
 少しの静寂の後、少女は、少年たちの名を叫びながら、彼らに駆け寄った。
 しかし、呼び掛けに反応は無い。どうやら、今の衝撃で気を失っているらしかった。
 黒髪の男は、そこで初めてビスタに気づいたかのように、目を細める。
「ホーリの解? アスカ式法術?」
 その青年は、今見た光景に対して、思考を巡らせながら独り言のように呟いた。
「――どちらにしろ、奇特な術をお持ちのようだ、そちらの坊やは。そう、私の魔術に巻き込んで申し訳無い……そちらの囚人だけ、大人しくするつもりだったのですけどね」
 彼は、大して悪気もなさそうに謝罪の言葉を吐くと、無機質に丸レンズを押し上げる。
「『これ』はよほどこの街に執着する理由があるようですね。さぁ、お嬢さん、そこをどいて頂けないかな」
 その口ぶりこそ穏やかだったが、その瞳が冷たく笑う。
 薄い夜闇の下では、その瞳は、まるで悪魔の使者かと思わせるような輝きを放っていた。
「あの……ジュンくんは、どうなっちゃうんですか?」
 彼女は、目の前の闇に恐々と尋ねた。
 それに冷たい声が返す。
 月明かりに照らされた白い肌には、凍てつくような微笑が張り付いていた。
「ええ、もちろん、連れ戻しますよ。『これ』は教会に居なくてはいけないのだからね」
「……あの、でも、ジュンくんは何も――」
 しかし、少女が立ち上がりながら勢い良く放った言葉も、辺りの騒ぎに飲み込まれて、男の耳に届くことは叶わなかった。
 慌しく黒髪の青年に駆け寄った白い影たちが、彼女と男の間を遮ったからだ。
 男のほうはそれの顔を確認すると、上機嫌で言葉を発した。
「おや、教会長――もう捕まえましたよ、サンプルは。貴方が来る前に、既に」
 漆黒色の瞳が嫌味そうに綺麗な微笑みを浮かべながら、教会長である男へと告げる。
 それを聞いた男の顔は、怒りの為か、顔の腹筋がピクピクと微動していた。
「うちの教会の者がお役に立てなくて申し訳ありません」
「いえいえ、力の無い物に力を求めても無駄ですからね――教会長」
 苛立ったような男を前にして、彼はさらりと毒を吐き、そして再び、皮肉を含ませた言葉をトゲのように呟いた。
「おや、馬車も追ってきてくれたみたいです。では、私はこれにて失礼致しますよ。ええ、明日の朝までにティルエスに着ければ良いのですけど……」
 馬車に囚人服を着た少年を乗せると、男はもう一度教会長を振り向き、丸いフレームを押し上げた。
「また、会えると良いですね。ええ、貴方の地位がそのままなら、の話ですが――嗚呼、失礼」
 黒髪の青年は、最後まで演技めいた口調で別れを告げ、視線をそのまま横へ――気絶した少年の隣に立つ少女を見据えた。
「お嬢さん。お友達を助けるのも結構ですが、自身の事も考えなさい」
「……え?」
 男はそれだけ言うと、自身も馬車へ乗り込んだ。
 彼らを乗せた馬車は、暗い夜道へと身を委ね、そっと、走り出した。

 馬車に揺られながら、男は独り、笑いを浮かべる。
 丸いメガネの青年は、意識の無いサンプルへ視線を向け、ぽつりと呟く。
「『駒』が逃げ出すと、困りますのでね」
 その言葉が向けられた先は、誰でもない。
 ただの独り言さえも、それは演技がかった台詞として空気に溶ける。
 駒は夜道を、走る。
 明日へ向けて。









 遠くに去った馬車を見送るなり、白い法衣を纏った教会術者達は素早く自らの持ち場や寝床に戻っていく。
 辺りには再び、何事も無かったかのような静寂が堕ちた。
 残されたのは、気絶した少年と、理解不能な出来事が多すぎて眉を潜ませている少女だけだった。
 そしてその静寂は、興奮したような叫びですぐに破られることとなった。
「ビスタ! ビスタ! ビスタ! 大変っ!!」
 気絶しているビスタの胸倉をいきなり掴むなり、彼女は力の限りそれを揺さぶった。
「い、いだっ……! ……ぐぇ、し、絞まる……!」
 力の加減を知らないほどに揺さぶられて、彼は素早く現実に引き戻された。
「あ、ビスタ、起きてる?」
「うん……生きてるよ……何とかね」
 彼女の殺人的な怪力から開放され、彼は首を擦りながら今までの経緯を問い掛ける。
「え!? じゃあ、ジュンはあの黒い人に連れて行かれたの?」
「うん……ティルエスって言ってた……わたしもあまり行ったことが無いけど――ほら、さっき言ったとこだよ。ここの森を抜けた先にある街……そこに、行くって」
 マルメロの説明を聞くと、ビスタは少し考えるようにして、彼女の示した方角を見つめる。
 そしてしばらくして、彼は彼女に笑いかけた。
「ティルエス……それじゃあ、ぼくもそこに行こうかな?」
 まるで明日の天気の話でもするかの如く、彼は軽い口調でその決断を述べた。
「どっちにしろ、ふらふら旅してるんだから、遠回りしてもいいかなーって。ジュンのことも気になるし……」
「わたしも行く!」
「うんうん、行こう行こ……――って……へっ?」
 危うく聞き流しそうになった言葉を、彼はもう一度自らの頭の中で再生した。
 冗談かと思えるような発言をした彼女の瞳は、あくまで本気だと物語っていた。
「ねぇ、行く! 連れてって!」
「で、でも、ほら家の人とか……」
「大丈夫! それに家結構遠いし、許可取りに行ったら遅くなっちゃうよ! ねぇ、わたしもジュンくんのことが心配なの。それに、さっきまでのジュンくんの様子も変だったし……黒髪の人は『サンプル』とか何とか言ってたし……とにかく、連れてって!」
 マルメロが嵐のような勢いで彼に詰め寄るので、彼は発言する間さえ与えられなかった。
 彼女の発言が終わると、ただただそのペースに対して、呆気にとられていただけの彼だったが、少しの間を置いた後、さして考えてもいないような言葉を零す。
「――え、うーん…………ま、いっか」
 あっさりと頷いた彼を見て、彼女はすぐに笑顔を浮かべた。
 ビスタもそれに釣られるかのように薄く笑う。
「ええと、じゃあ――よろしくね、マルメロ」
「うん、よろしく!」
 彼女も少しはにかみながら、差し出されたその手を取った。
 薄暗い、夜闇の中で。




 宵闇が世界を埋め尽くす中、駒は静かに動き出す。
 物語の『駒』は、時に運命からも、逃げ出すのだ。

 駒たちは明日へ向けて、歩き始める。

 それぞれの行く道を、見据えて。

 遠い遠い、道標を、捜して――。


<第1章 END>


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