レプリカのうた -Replica's Song-
第1章:逃げ出した駒



 第7話 相談


 フォルーネの空は黒く染まり、おぼろげな星たちが、目を覚ましだしたころ、空には、細い月が見当たるだけだった。
 その淡い月明かりが、何かを予感していた。

「うーん……」
 ビスタは、慣れないベッドの上で昼間の一件を思い出していた。
 あの後、フォルーネ教会長と名乗る人物に、物事は軽く丸められた。もちろん、彼らの探していた『ジュン』は目の前で連行されていった。それを追おうとしたビスタたちだったが、やはり教会術者に追い返されてしまった。
 そこまで思い出したところで、彼の思考はぷつりと途切れた。
 木製のドアを、控えめにノックする音と共に、潜めたような声が聞こえて来たからだ。
「ビスタ、もう寝てる?」
 その声の主は昼間の少女――マルメロだった。
「え、うん、まだ寝てない」
 彼は、あの後、彼女が住み込みで働いているという、この小さな料亭に招待された。
 この料亭は幸いにも、ターゲットになった付近よりも僅かばかりか離れたところに建っていたため、それほど酷い被害は見受けられなかった。
「どうしたの?」
 入ってきた彼女を、座るように促しながら、彼は訪ねた。
 マルメロは、窓の外を見て、それから彼へ視線を上げた。
「ビスタ、『解術』使えるって言ってたよね」
 その瞳が、何かを決意したように、揺るぎなく見えたのは月明かりの所為だっただろうか。
 彼女は彼に詰め寄りながらも、答えを求めた。
「ええと――うん、そうだけど……」
「決定!」
「え?」
 ビスタが答えを言い終わらないうちに、彼女は昼間見せたように顔を輝かせた。
 少女のどこからか熱いオーラが感じられる。気のせいだろうか、彼に悪寒が走った。
「さぁ、ビスタ、行こう行こう!」
「ちょ、ちょっと待って……ど、どこに?」
 マルメロは彼の腕を勢い良く引っ張り、本人の意思とは関係無しに、無理矢理といってもいい形で立ち上がらせる。
 彼女に捕まれた利き腕は、解こうにも嘘のように微動だしなかった。やはり、昼間ジュンを突き飛ばしたのは彼女だという疑いが、彼の中で確信に変わった。
「どこって、当然ジュンくんを助けに教会にだよ!」
 それはごく当たり前だと言う口調で、彼女は言葉を継いだ。
「ビスタの解術があれば、教会の結界も解けて入れると思うの。ねっ、だから早く行こう!」
 彼が彼女の言葉を、ゆっくりと理解する間にも、彼女は早口で捲くし立てた。
 断る断らない以前に、彼女の言葉に口を挟める隙が無かったことで、既に彼の運命は決まってしまった。
 彼は、少女の小柄な身体からは検討もつかない馬鹿力に、腕が引っ張られるのを寂しく感じながらも、そこを後にした。







 薄闇に見るフォルーネの街は、昼間の賑わいのそれとは、はまるで違う雰囲気を纏っていた。
 それは、夜だからという理由だけではなく、街の内部――しかも教会がある北の方角は、昼間のあの一件のおかげで寂しい風景画と化しているのだ。建物の表面が大きく削られ、無残にもそれの破片らが飛び散っている。
 以上に上げた不気味な夜闇の中を、微かな灯火を頼りに、二つの影がいささか急いだように走っていた。
「それでさぁ、ジュンはなんで捕まったの?」
 その問い掛けを、後ろに居る少女に放ったのは、先を小走りに行くビスタだった。彼の手元で、独特な色合いの光を仄かに零しているものは、この世界では一般的な道具である魔術式ランプだ。
 それに照らされた足元を見詰めながら、マルメロはぽつりと口を開いた。
「ジュンくんは、弟が、教会に捕まったのを助けようとして……」
「弟? 弟が何かしたの?」
 マルメロの返答を最後まで聞かずに、彼は不思議そうに表情を動かしながら、再び問いを掛けた。
「え? ――そういえば、なんでだろう? ジュンくんも、捕まるまでは魔術なんて使ったことなかったのに……」
 まるで夕飯のメニューを思い出すかのような口調で、彼女は初めて疑問に思ったと言わんばかりに首を傾げた。その反応に、彼は一瞬、確信犯なのか天然なのかと考えたが、目の前で真剣な表情を浮かべ始めた少女を見て思考を巡らせる必要は無いと思った。
「まぁいいや。それにしてもさ、ジュンの魔術って、何だか普通の術者とは違うような感じがしたんだけど、あれって――」
 彼はそこで会話を切り、息を潜めた。
 マルメロは、不思議そうに彼に問うも、彼自信の手によって、口を塞がれる。
 彼女は、無意識に頬を薄い朱に染めた。
 それに気付かない彼の目線は、近くまで迫ってきていた大きな白亜の門――教会の扉を見詰めた。
 ビスタがなぜ声を潜ませたか、それは白く大きな門が、重そうに口を開けたからだった。
 それがゆっくりと開き、中からは、二つ――否、三つの影が姿を見せた。
「ジュンくん!」
 既に彼の手から解放されていた少女は、潜ませたような声で、精一杯に叫んだ。
 マルメロの叫んだ通り、彼らの視線の先には、見覚えのある姿が混じっていた。
 それはまぎれもなく、昼間見た『ジュン』と同じ格好をしていたのだが、一つだけおかしい点があった。彼の隣には、あんなに憎んでいた『教会術者』が居るのに、彼自信、暴れることもなく、ただただ俯いて地面へ顔を向けているだけなのだ。
 彼の隣の術者たちは、お互いに会話を交わし始めたが、ジュンのほうはピクリとも動かない。
 声は一向に聞こえはしないので、何を話しているのか、検討さえつかない状況だ。
 そのとき、ビスタの耳に滑り込んできた言葉は、この場でなければ冗談と思うほどだっただろう。
「ねぇ、ビスタ、後ろから近づいて殴って気絶させるのはどうかな?」
 何を言い出すかと思えば、悪気の色が見えない顔で、彼女はさらりと暴力的な発言をした。目は冗談ではなく本気を語っている。
 それを聞いて呆気にとらわれていた彼は、一瞬の間を置いてから彼女の言葉に対応した。
「へ?」
 彼の怪訝な表情を気にしてはおらず、むしろ気付いていないのかもしれない。とにかく、彼女は自分の意見を主張することにしか集中していない様子で続けた。
「うん、だからね、殴るの」
「マルメロ、それは駄目だと……」
「だって、ジュンくんが」
 その時だ、馬の蹄が地を蹴る音がした。
 音のしたほうに目を向けると、一台の馬車がこちらへ――正確には、教会に向かって走って来るのが見えた。
「あの黒いほうの術者が乗るのかな?」
「ビスタ、こうなったらもう強行突破!」
「わー、待って待って!」
 ビスタは駆け出しそうになる彼女の腕を掴み、行動を制した。
 そして自分のポケットからそれを取り出した。
「ぼくに、いい考えがあるんだけど……殴るっていうより、もっと穏便に済ませられるような方法が」
 彼はそれを彼女の前へ差し出し、にっこりと笑う。

 薄い月明かりに照らされた、ビスタの楽しそうな微笑が現れた頃、黒髪の術者も口の端を吊り上げて笑った。
 目の前に止まった、馬車を見つめて。

 隣に居る少年を、馬車に、乗せて。



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