レプリカのうた -Replica's Song- 第1章:逃げ出した駒 第6話 解術師 「離せ……」 長く伸びた金髪の下で、やせ細った顔は呻いた。 しかし、その骨ばった腕では、捕まれたビスタの手さえ到底振りほどけそうにない。 彼は、飢えた獣のように輝く瞳で、ただこちらを睨むことしか出来なかった。 「お前……何故魔術が効かない」 それは、彼の腕を振りほどこうと、まだ微々たる抵抗を加えている。だが、その細い力で魔術を紡ぐことは出来ても、そこから逃げることは叶わなかった。 ビスタは、逃げようとしている彼に問われて、黒い瞳を細めながらのんびりと答えた。 「効かないってわけじゃないんだけど……んー、解術っていうものを使って、きみの魔術を防いだんだよ」 「『解術』?」 聞き慣れない単語を耳にした少女は、首を傾げた。少なくとも、西地方の一般的な人々は、その単語を耳にしたことが有るか無いかくらいの感覚であろう。 「あれ、やっぱりこっちじゃもう使わないのかなぁ?」 彼女の反応を目にして、彼は首を傾げた。そうして一拍空けると、彼は言葉を継ぐ。 「ええと、解術っていうのは――ええとー……うーん、魔術の式を応用して、魔術を防ぐ術のこと、だよ」 「魔術を、防ぐ……」 少女は、納得したように、ビスタの言葉を小さく反芻した。 彼は、その様子を見て満足気に頷いた後、やや乾いた笑い混じりに言葉を付け足した。 「……って言っても、東のほうでも、解術師はごく稀になってるんだけどねー」 そこで彼は、言葉を切った。 「まぁ、それはいいとしてー……そういえばきみたちの名前、なんだっけ?」 ビスタは、一呼吸おいて彼女たちに新たに問いかけた。 「ぼくは、ビスタ。さっき言った通り、東の解術師だよ」 「えっと、わたしは、マルメロ。マルメロ=ユッカ。それで、こっちはジュンくん」 ビスタに対して、綻ばせた笑顔で返す少女は、自分と、そして先ほどの囚人の名前を語った。 彼は、ふんふんと頷いて名前を飲み込んだ。 そして、先ほどからもがいている人物へ首を向けた。 「で、ジュン――」 「お前、会話をしてる暇があるんならその手を離せ!」 目が合った途端、その囚人――ジュンは鋭い眼光でビスタを睨めた。 その二人の穏やかな雰囲気も、ジュンの前では意味が無く、彼の周りの空気だけが殺気に満ちている。 「駄目駄目。離したらまた逃げるだろ?」 「俺が逃げてもお前に何の関係も無い!」 「うーん、まぁ、そうなんだけど。きみが逃げると、ええと……マルメロが困るんじゃないの?」 ビスタは、そういって、目線で少女を示した。 それに対して、ジュンはさらに食いかかる勢いで話を続けた。 「困る? 何故だ?」 「え? それは、ええとー……何で?」 問われたビスタは、数秒間語尾を延ばす。しかし結局答えが発掘されなかった為、再度マルメロへ視線を戻し、聞き返した。 話を振られた彼女は、少しばかり瞳を地面へ反す。 「これ以上ここに居たら、殺されちゃうよ。それに、ジュンくんは何も悪く無いから……だから、逃げよう!」 半ば怒鳴るようにして、或いは訴えるようにして、彼女はジュンへ呼びかけた。 彼女の緋を帯びた桃色の両眼は、今度は揺ぎ無く、彼をしっかりと見据えていた。 「仇とか復讐とか、わたしはもう止めない。――でも、今はっきりと分かるのは、ジュンくんが死んだら、その選択肢が消えちゃうってことだよ! 生きなきゃ、何も、出来なくなっちゃうから、だから……!」 マルメロの、必死に呼び掛ける視線を受けたジュンから、力が抜けた気がした。 少なくとも、ビスタにはそう感じられたのだ。 しかし、それもほんの一瞬のことでしか無かった。ジュンは、すぐに自分の使命を思い出したかのように、身を強張らせる。 「駄目だ……俺は、逃げられない。あいつらを――教会の奴らを、殺さないと、死ねないんだ」 その言葉には、彼の固い意志が感じられた。声の音量こそ小さいものだったが、今まで聞いたどの言葉よりも、それに込められた感情が、大きく伝わってきた。 そして、彼は、その台詞を言い終わるや否や、言葉を行動に移した。 ビスタの右手――彼を掴んでいる腕が、炎に触ったかのように熱く熱を帯びだした。 「……っ!」 ――魔術だ! 彼ら二人が、その事実に気付いた時、もう既にビスタの腕は空気だけを虚しく掴んでいた。 「ジュンくん!」 マルメロは、地の上を颯爽と走り、ジュンの前へ滑り出た。 それが本当に秒数単位の動きだったので、急に進路を邪魔された彼の表情にはうっすらと戸惑いが浮かんだ。 「わたしは、ジュンくんに何があったかなんて分からないけど……けど、ジュンくんは何も悪く無いよ! 捕まったら、駄目だよ……!」 彼女は、息継ぎさえ満足に加えずに、突風の如く言葉を並べながら、視線で相手に見詰め寄った。 「だから……命を、無駄にしたら、駄目だよ……」 しかし、彼女の言葉は、最後まで彼に届くことは無かった。 それというのも、ジュンが彼女の言葉に耳を貸さずに、走り出した所為だった。否、むしろその後の、ゆったりと出現した人影の行動が原因だったのだ。 轟音が空気を走る。 限りない程の魔力の粒子が、獲物を目掛けて鋭い牙を剥いた。 走り出したジュンの背中は、軽く、崩れ落ちた。 「こんにちは、どうも、初めまして」 微笑んだ黒髪は、倒れているジュンを見下ろした。 今放った魔術に対してのコメントでは無く、何気ない、日常会話の挨拶が並ぶ。 白い教会術者の群れの中でも、彼はひときわ目立っていた。 着ている服が、他とは違く、青に色付いている所為なのかもしれない。 丸いレンズの奥の黒い瞳は、無心を象りながら、ターゲットであるそれを、見下していた。 「やっぱり私が出てきたほうが早かったですね――教会長」 黒髪を揺らし、それは後ろからやってきた男を振り返り、不敵に微笑した。 胸元では、銀色に煌く十字架が、踊っていた。 しかし男は、まるで虫が話しかけてきたかのごとく、顔を不満に歪めながら返した。 「全く、お見事です」 小さな舌打ちが、周囲の者の鼓膜にしっかりと届いた。 |