レプリカのうた -Replica's Song-
第1章:逃げ出した駒



 第5話 皮肉と悪戦


「まだ見つからないのか?」
 神経質に張り詰めた声は、あからさまに苛立ちを表現していた。
 尖った視線を注がれた教会術者は、上司に向かって弱弱しく報告を吐き出す。
「空気中に大量の魔力が分泌しているので、追跡魔術はあまり、効果が……」
「ならばしらみ潰しに探せ!」
「はっ、はいっ!」
 まるで目の前の部下までも切り裂くかの勢いで、男は声を荒げた。
 怒鳴られながら命令を下された術者は、再びびくびくとした顔つきで、上司に背を向けた。

 男は、白い法衣を身にまとった部下の群れ――教会術者たち――を鋭い眼光で睨める。
 そして、今日何度目にもなる溜息を吐きながら、横にそびえる白亜の建物を見上げた。大きさだけで人々が圧倒されるその建築物は、街の最北端を意味する教会だった。
 天辺にはもちろん、教会のシンボルである白い十字が置かれていた。
 男はそれを見上げ、再び溜息を付いた。
 全てに対して苛立ちを抱えている男の鼓膜に、挑発的な声が掛かったのはその時だ。
「……まだ、『あれ』を捕獲しないのですか? ――教会長」
 不意に、教会内最高権力者である、その男を呼んだのは、黒髪を揺らす青年だった。
「今、総員が全力で探している。見れば分かるだろう」
 先ほどにも似た怒鳴り声は、相手に対する苛立ちと敵意を剥き出しにしていた。
 首を絞められんばかりの勢いで詰め寄られた青年は、教会長である男とは対照的に、酷く冷静な調子で吐き出した。
「全力で、ですか」
 それは、分厚いレンズの眼鏡を押し上げて、目の前の光景を見やる。
 視線の先では、白い法衣を纏い、胸元には輝く十字架を下げた者たちが、せわしなく動き回っていた。
「たった一人を見つけるのに、これほど時間が掛かるとは思えないのですが――教会長?」
 レンズの奥の黒い瞳は、皮肉気に弧を描いている。その薄笑いもまた、教会長である男の神経を逆撫でする要因であった。
 ゆっくりと間を置いて、それは再び言葉を継いだ。
「最悪、この街からは、もう逃げてしまっているとも考えられます。そんな事になったら……」
「では、未だ空気中に分散するこの大量の魔力をどう説明する!? あれがまだここに居る証拠になるだろう!」
 淡々と皮肉を紡ぎだす男の前で、教会長は声のボリュームを1オクターブ上げて喚いた。
 その男を、さも邪魔そうに見上げる黒い瞳は、視線を手元の書類へと戻す。
「まぁ……そうですね、教会長。この報告書を見る限りでは、あれがこの街から逃げ出すことは無いでしょう。むしろ、あれの方からこちらへ寄ってくると考えられます」
 レンズの奥では、黒い瞳が眠たそうに抉じ開けられている。
 ぼんやりとした瞳は、青いインクで丁寧に綴られた文字を追う。
「"『サンプルJH-6』の唯一の肉親である弟、『サンプルAH-14』も、この実験で命を落とす"――サンプルがこちら側に恨みを持っていてもおかしく無いですね。それにしても教会長、あれとその弟と、どうしてこんなに頭の悪い捕獲の仕方をしたんですか?」
「な……!?」
「この報告書によると、どうやらAH-14を無理矢理地下牢へ収容し、それに激怒したJH-6も捕らえ、実験台とした。その結果が、これですよ?」
 再び眼鏡のフレームを軽く押し上げ、押し黙った男へ目を向けた。
 レンズの奥では、黒い瞳が、微かだが冷たさを感じさせながら佇んでいた。
「つまり、大胆すぎたと言っているのですよ。貴方のやり方がね、教会長」
 それの声や表情からは、まるで思考さえ伺えない。
 丸メガネの主は、その奥の瞳を鋭くさせた。
「私が王都市からわざわざ足を運んだ理由は分かるでしょう? 第一にあのサンプルは――……」
 饒舌になった男は、ハッとしてそこで口をつぐむ。
 また、教会長である男の瞳も、初めて、目の前の青年から外された。
 しばらくそこに、張り詰めた沈黙が流れる。

「あれの魔力の気配が、消えたようですね」
 その沈黙を破った男は、黒い瞳を瞬かせた。
 そして、その言葉を始まりとし、もう一人の声が久しく流れだした。
「あれを捕らえたのだろう」
「あるいは、街から消え失せた。もしくは、魔術を使えない場面に出くわしたか……ですね」
 先ほどより幾分か表情を緩ませた教会長は、またもや皮肉気に発せられた声を睨みつける。
「今にあれが捕らえられてやって来るだろう」
 そんな鋭い視線を浴びせられても、余裕に満ちた顔は変わらなかった。
 わざとらしく視線をずらしながら、黒髪の男は告げた。
「幸いな事に、あれは保存状態がよろしいです。出来れば、殺さずに、生かしたまま捕獲してほしいものです、教会長」
 挑発的な言葉に、再び教会長は、勢い良くそれに詰め寄った。
「まだ信じてないようだが、今度は――」
「ああ、はい。実は信用しておりません。あれは、このちっぽけな教会の術者達なんかの力では抑えられないと思っています、正直」
 淡々と皮肉を吐く黒い男の表情は、悪気の色など表れずに言葉を継ぐ。
「もしも、今、ここの術者達があれを連れ帰ってきたら、貴方を昇格するよう上に申請してもよろしいですよ。――……まぁ、」
 黒髪がそこで一旦言葉を切ると、再び空気が、多大な魔力で溢れ出した。
 震えだした空気に、教会長は驚愕のあまり、目を見開く。
 
 そして男は、眼鏡のフレームを押し上げ、言葉の続きを溜息と同時に吐き出した。

「もしも、の話ですけれどね」

 散乱した魔力の粒子が、再び街中に満ち溢れる。
 また、白い法衣を纏う者達の足音は、幾重にも重なり、鳴り止むことは無かった。
 


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