レプリカのうた -Replica's Song-
第1章:逃げ出した駒



 第2話 フォルーネ


 ここ『フォルーネ』は、西地方においてさほど珍しい造りをしている街というわけではない。加えて、取り分け大きい街というわけでも無いが、寂れた小さい街というわけでもない。
 レンガ造りの街路も、屋台や露店が並び賑わっている様子も、西地方のどの街にでもありふれている光景だ。

 街の奥には、大きな白い建物があった。街の中で一番壮大で、一番目に付くその建物も、西地方では当たり前に存在しているべき建築物だ。
 その建物は一般的に『教会』と呼ばれていて、ジェフラン教の物である。そして西地方の大半の者は、ジェフラン教信者である。その信仰心を表すかのように、現在西地方の街々には、無いというほうがおかしいというくらいほぼ義務的に大きな教会が建てられているのだ。
 無論建物だけが大きいわけではなく、教会は街の住人たちの生活に幅広く関与し、人々と密接な関係を築いている。
 そして『フォルーネ』もまた、ジェフラン教に支えられながら日々生活を営む人々が住む街なのである。


「――『……というわけで、フォルーネも、あまり変わっている様子はありません。……引き続き、王都市へ向かって、旅を続けようと思います。……フォルーネより、ビスタ=ブランスト』……っと」
 彼――ビスタ=ブランストは、投げ出すようにペンから手を離した。それと同時に、今まで鳴り続けていた紙とペンが摩擦する音が止んだ。
 その手から転がるようにして落とされたペンは、軽い回転を繰り返し、紙の束の上で静止した。ペンの下に広がるのは、やや右上がりの、くせのある文字の羅列だった。
 ビスタは、たった今自分が書き綴った文章へ目もくれずに、目の前の窓に視線を向けた。
 ここはフォルーネの郵便屋である。簡単に言えば、手紙を届けてくれる場所なのだ。これは各街々に存在し、人々の通信手段を支援してくれている場所だ。
 通常ならば、手紙をここへ持っていくだけで良い。また店内で手紙を書くことも可能であり、そのためのスペースもしっかりと設けられている。
 店内は彼と郵便屋の者以外は誰も居る様子が無い。ほぼ彼一人、貸切の状態である。彼はがらんと空いた窓際のテーブルに、頬杖を付いていた。
 目の前の長方形型の窓枠からは、昼下がりのうららかな陽気がこぼれ落ちている。
 ビスタは暖かい日差しに思わず目を細めた。
 買い物帰りの母子や、仕事中の男、様々な様子の人々が目の前を、ガラス越しに通り過ぎていく。
 その中にビスタは気になる影を見つけ、軽く声をあげた。
「……また白い人だ」
 特に感情を込めた様子もなく、ただ自然にその言葉がこぼれる。この街に来てから何度も見る光景に対しての、彼なりの反応だった。
 彼は拗ねたように転がっているペンを、再度右手で掴んだ。そして先ほどの文字列の下へ、ペン先を滑らせた。
「『追伸……ここは、教会の警備が強いみたいです。……ええーと……何人もの、教会術者が、歩……』――……」
 ふと、ビスタの右手はそこで止まった。
 得体の知れない『何か』が、空気を振動させているのを感じ取ったからだ。――否、正確には、得体の知れないものでは無かった。
「――魔術……!」
 そうビスタが叫ぶ声も、次の瞬間には大音量の爆音に虚しく飲み込まれた。
 同時に周りの風景が破滅する音が、彼の耳へ静かに届く。
「……いっ……」
 しかし、そのような状況を確認する間も与えられずに、その身体は、爆音と共に大きく後方へ吹き飛ばされる。
 爆風に飛び上がった身体は、強く床に打ち付けられた。
 その間にも、また1回2回と激しい怒濤のような音が街に轟いていた。


 けたたましい音が止み、静けさが訪れた。
 しかしそこには先ほどのような暖かい様子は無く、寂れた空間があった。
 音が静止してから少し間があった後、住人の悲鳴と足音が叫びだした。
「痛ー……」
 彼は床へ強く打った腰をさすりながら、呑気な動作で上半身を起こす。
 そして、この事態に対する説明を要求するように、視線を左右へ揺らした。目の端には、先ほどまで動き回っていた郵便屋の職員の寝そべっている姿が映った。
「ええと、あの、大丈夫ですかー?」
 このような事態に陥っても、ややのんびりとした声で、動かないそれに問う。ビスタの呑気なその声は辺りを虚しく占領した。
 しかし、郵便屋の白い制服を身にまとった職員は、その声へ反応を示さず無言で床に転がっているだけだった。
「もしもーし」
 ビスタは様子を確認するために、立ち上がってその職員へ近寄った。
 先ほどまで彼の目の前で窓の役割をしていたガラスは、床へ無数の破片となって散乱していた。彼が固い靴底で踏むたびに、それは繊細な悲鳴を上げてさらに小さく砕けた。
「職員さーん」
 まだ若い顔の男は、不幸にも頭を打ち付けたらしく、気絶していた。
 ビスタが少し強くゆすると、すぐに気が付いて飛び起きた。
「ええと、大丈夫ですか?」
 目をぱちくりさせている男に、彼は声を浴びせる。すると男は、彼の発言を待たずに慌しく立ち上がった。
「君も、早く逃げるんだ!」
「え?」
 ビスタが問い返すのにも答えず、男はその言葉と同時に、外へ飛び出した。男は転びそうなくらい勢いをつけて駆け出していた。
 彼は、職員の言葉の意味が分からず、もう一度聞き返す。勿論その後を追いかけて。
「どういう意味?」
 距離こそ遠くなったが、いまだに爆音は鳴り止まない。
「『あれ』の魔術だ…」
「『あれ』?」
「最近良くあるんだ、『あれ』の暴走が。ここまで大規模なのは初めてだけど」
 ビスタの疑問に対する答えは、爆音を背景に早口で吐き出された。
「君も旅人なのに、最悪な時期に来てしまったね」
 男は気の毒そうに、ビスタに声を掛けた。
 その言葉に返すように、彼は独り言の様に呟いた。
「うーん、むしろ、ラッキーかもしれない……」
「え?」
 やはり小声は耳に届かず、職員は走りながら聞き返す。
 ビスタは呑気に笑って、逃げる職員とは逆方向へ身体を向けた。
「ぼく、ある魔術を探してるから、丁度いいかなって」
 ビスタの口からそう言葉が漏れると、再び激しい破裂音が遠くに聞こえた。

 まだフォルーネに、静寂は、訪れない。



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